時代は幕末、事件・人物別の年表です2008.2.18

ファビユス中佐(オランダ)が伝習を終え長崎を出航 KA 7. 9. 7(1854 10 28sat)
ファビユス中佐が長崎を離れる AN 2. 11.15(1855 12 23sun)
ファビユス中佐が軍艦メデュサで長崎到着 AN 3. 7. 8(1856 8 8fri)
ファラデーがレンツの法則を発見 TE 2. 9.12(1831 10 17mon)
フィーパン号事件を起こす米国商人ドレイクが下関出帆 GE 2. 2. 9(1865 3 6mon)
フォーチュン(英国園芸学者)が長崎到着 MA 1. 8.28(1860 10 12fri)
福井藩藩校明道館が、城内三の丸に創立 AN 2. 3.15(1855 5 1tue)
福井藩校明道館の開館式 AN 2. 6.24(1855 8 6mon)
福井藩で挙藩上洛が決まる BU 3. 5.26(1863 7 11sat)
福井藩は挙藩上京計画を中止 BU 3. 7.23(1863 9 5sat)
  
福岡藤次が高知に生まれる TE 6. 2. 6(1835 3 4wed)
福岡藤次(孝弟)らが高知出発長崎へ向かう KE 3. 3.10(1867 4 14mon)
福岡藤次が新政府の参与となる[32] KE 3. 12.12(1868 1 6mon)
  
福沢諭吉が大坂で生まれる TE 5. 12.12(1835 1 10sat)
福沢諭吉が遣欧使節としてフランスに滞在植物園を訪れる[27] BU 2. 3.28(1862 4 26sat)
福沢諭吉が第4回万国博覧会を訪れる BU 2. 4.16(1862 5 14wed)
福沢諭吉(遣欧使節)は、フォン・シーボルトの妻子らと面会 BU 2. 6.21(1862 7 17thu)
福沢諭吉が遣米使節の通訳として横浜出航[32] KE 3. 1.23(1867 2 27wed)
福沢諭吉が米国滞在中の不都合で謹慎 KE 3. 7.14(1867 8 13tue)
  
福島藩(藩主板倉勝尚)が正式に降伏 KE 4. 9. 2(1868 10 17sat)
福島藩が降伏する(戊辰戦争) ME 1. 9.15(1868 10 30fri)
福知山騒動 MA 1. 8.20(1860 10 4thu)
福原越後の隊、兵三百が、午後2時頃、大坂に到着する GE 1. 6.22(1864 7 25mon)
福原越後は伏見藩邸に入る GE 1. 6.24(1864 7 27wed)
福原越後(長州藩家老)が岩国竜護寺で切腹 GE 1. 11.13(1864 12 11sun)
武家諸法度が頒布される TE 9. 2.21(1838 3 16fri)
武家諸法度が改訂される KA 7. 9.29(1854 11 19sun)
武家諸法度を頒布する AN 6. 9.25(1859 10 20thu)
富士山丸は新選組残党ら生き残り40名を乗せて大坂を出港 KE 4. 1.12(1868 2 5thu)
  
藤田東湖[1806.5.4誕生]らの蟄居が赦免される[40] KO 3. 12.28(1847 2 13sat)
藤田東湖が徳川斉昭に10年ぶりに拝謁 KA 6. 7.19(1853 8 23tue)
藤田東湖が江戸小石川の藩邸の長屋で圧死する[49] AN 2. 10. 2(1855 11 11sun)
藤本鉄石が紀州藩兵により鷲家の東方で斬られ死亡する BU 3. 9.25(1863 11 6fri)
武州世直し一揆の1200、1300人が野火止陣屋に侵攻 KE 2. 6.15(1866 7 26thu)
武州世直し一揆が上武国境ぞいで壊滅する KE 2. 6.19(1866 7 30mon)
  
プチャーチンが香港を出港 KA 6. 6. 5(1853 7 10sun)
プチャーチンを乗せた軍艦パルラダ号が香港に到着する KA 6. 6.18(1853 7 23sat)
プチャ−チンのロシア極東艦隊が開港をもとめ長崎に入港 KA 6. 7.18(1853 8 22mon)
プチャ−チンと長崎奉行大沢豊後守が立山役所で会見 KA 6. 8.17(1853 9 19mon)
プチャ−チンと長崎奉行大沢豊後守が立山役所で会見 KA 6. 8.19(1853 9 21wed)
プチャーチンが一時的に長崎を離れ上海に向かう KA 6. 10.23(1853 11 23wed)
プチャーチンのロシア艦隊が突然長崎に再来 KA 6. 12. 5(1854 1 3tue)
プチャーチンが長崎を退去する KA 7. 1. 8(1854 2 5sun)
プチャーチンを乗せた新鋭ロシア艦ディアナ号が箱館に入る KA 7. 8.30(1854 10 21sat)
プチャーチンの軍艦ディアナ号が大坂の安治川口沖へ碇泊 KA 7. 9.19(1854 11 9thu)
プチャーチンが大坂より下田に入港 KA 7. 9.20(1854 11 10fri)
  
プチャーチンの乗る新鋭艦ディアナ号が下田に入港する KA 7. 10.14(1854 12 3sun)
プチャーチン以下47名のロシア士官らは戸田号で帰国する AN 2. 3.22(1855 5 8tue)
プチャーチン以下47名のロシア士官らは戸田号で帰国する AN 2. 3.23(1855 5 9wed)
プチャーチンが軍艦アメリカ号で、再度長崎に来航する AN 4. 8. 4(1857 9 21mon)
プチャーチンが日露追加条約を締結し長崎を去る AN 4. 9.10(1857 10 27tue)
プチャーチンが江戸芝真福寺に到着 AN 5. 7. 4(1858 8 12thu)
  
フランス船が琉球に入港し、通商を求める TE15. 3.11(1844 4 28sun)
フランス軍艦が琉球に渡来する KO 3. 4. 7(1846 5 2sat)
フランス軍艦3隻が長崎高鉾島沖へ渡来 KO 3. 6. 7(1846 7 29wed)
フランス第二共和政が発足 KO 5. 1.20(1848 2 24thu)
フランス船が琉球に来て上陸する KA 1. 7.29(1848 8 27sun)
フランス船が津軽沿岸に渡来する KA 3. 11.21(1850 12 24tue)
フランスの鯨漁船が漂流した者を連れて下田港に入る AN 1. 12.11(1855 1 28sun)
フランス船が紀州の漂流民をのせ下田に入港する AN 1. 12.12(1855 1 29mon)
フランス軍艦が長崎に入港する AN 2. 3.18(1855 5 4fri)
フランス司令長官ゲランは琉球那覇で琉仏和親条約の調印 AN 2. 10.15(1855 11 24sat)
  
フランスの使節秘書モージェが傭船レミ号で下田に来航する AN 5. 8. 8(1858 9 14tue)
フランスの使節船三艘が品川沖に到着 AN 5. 8.12(1858 9 18sat)
フランス使節グローが日仏修好通商条約を終え品川を出港 AN 5. 9. 6(1858 10 12tue)
フランスの外交代表兼総領事ベルクールが品川に赴任する AN 6. 8.10(1859 9 6tue)
フランス副領事の中国人召使が武士二人に殺される AN 6. 10. 2(1859 10 27thu)
フランス副領事の中国人召使が武士二人に殺される AN 6. 10.11(1859 11 5sat)
フランス通報艦キンシャン号が砲撃を受け玄海灘に脱出 BU 3. 5.23(1863 7 8wed)
フランス艦が長州砲台を砲撃 BU 3. 6. 5(1863 7 20mon)
フランスの陸軍中尉が横浜郊外井戸が谷で斬殺される BU 3. 9. 2(1863 10 14wed)
フランス語学所が横浜の弁天社のとなりに開校する GE 2. 3. 6(1865 4 1sat)
フランス派遣使節(柴田日向守)が江戸出発 KE 1.U 5. 3(1865 6 25sun)
  
フランス軍事顧問団がフランス郵船ベリューズ号で横浜に到着 KE 3. 1.13(1867 2 17sun)
フランス公使ウトレイが着任 KE 4.U 4.17(1868 6 7sun)
  
古屋佐久左衛門が小栗上野介を訪問 KE 4. 2.14(1868 3 7sat)
古屋佐久左衛門が総督の衝鋒隊が五十里駅に至る KE 4. 3.14(1868 4 6mon)
古屋佐久左衛門が実弟高松凌雲?の手当も空しく箱館病院で没 ME 2. 5.16(1869 6 25fri)
プロイセン(ドイツ)の商船グレタ号が初めて下田に入港する AN 2. 5.21(1855 7 4wed)
プロシャの蒸気船が修好通商条約を結ぶため品川に到着 MA 1. 7.19(1860 9 4tue)
プロシャの蒸気船が修好通商条約を結ぶため品川に到着 MA 1. 7.20(1860 9 5wed)
プロシャと仮条約を締結する MA 1. 11.18(1860 12 29sat)
プロシャ使節のオイレンブルグ伯爵と日普修好通商条約調印 MA 1. 12.13(1861 1 23wed)
プロシャと幕府が本条約書を交換する BU 3. 12.13(1864 1 21thu)

項目は「幕末資料庫(閲覧登録必要)」より随時取り出し、この年表に追加しています。
出典は幕末資料庫に記載されている場合があります。


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