時代は幕末、事件・人物別の年表です[2008.2.6]


右欄の日付記号について
TE 4. 2.22(1833 4 11 thu)は、天保(TE)4年2月22日、西暦 1833年 4月11日木曜日を示します。
年号の記号は..TE:天保 KO:弘化 KA:嘉永 AN:安政 MA:万延 BU:文久 GE:元治 KE:慶応 ME:明治 です。


パークス Parkes, Harry Smith

パークス(Parkes,Harry Smith)が中国側の捕虜となる MA 1. 8. 4(1860 9 18tue)
パークス(後の駐日公使)らが中国側から釈放される[32] MA 1. 8.24(1860 10 8mon)
パ−クス(上海駐在英国領事)が駐日公使になり長崎に到着 KE 1.U 5. 2(1865  6 24sat)
パ−クスが英国軍艦レパ−ドで横浜に到着[37] KE 1.U 5.16(1865  7  8sat)
パ−クスが箱館から横浜に帰還 KE 1.  9. 3(1865 10 22sun)
パ−クスが上海に到着 KE 1. 10.18(1865 12  5tue)
パークスは横浜を離れ鹿児島訪問の旅に出る[38] KE 2.  5.21(1866  7  3tue)
パークス(長崎滞在中)を薩摩藩の家老新納刑部が訪問 KE 2.  6. 3(1866  7 14sat)
パークスがグラバーの仲介で鹿児島を訪問する KE 2.  6.16(1866  7 27fri)
パークスが鹿児島で薩摩藩の歓待を受ける KE 2. 6.17(1866 7 28sat)
  
パークス西郷隆盛が鹿児島来航のプリンセスロイアル号で会談 KE 2.  6.18(1866  7 29sun)
パークスが鹿児島を出帆 KE 2. 6.20(1866 7 31tue)
パークスらが宇和島に到着伊達宗城は宴席で家族を紹介 KE 2.  6.28(1866  8  8wed)
パークスが宇和島を出帆 KE 2.  7. 2(1866  8 11sat)
パークスと新潟奉行白石下総守との会見が行われる KE 3.  7. 5(1867  8  4sun)
パークスが能登七尾で加賀藩役人と外国貿易港について協議 KE 3.  7.10(1867  8  9fri)
パークスはイカルス号事件に関して大坂を出発し土佐へ向かう KE 3.  8. 1(1867  8 29thu)
パークス、サトウらイカルス号の談判のため土佐須崎に入港 KE 3.  8. 6(1867  9  3tue)
パークスが大坂で老中板倉周防守勝静と会見[39] KE 3. 12. 4(1867 12 29sun)
パークスは木梨精一郎に江戸攻撃反対を表明する KE 4.  1.13(1868  2  6thu)
  
パークスが天皇謁見のため京都知恩院に入る KE 4.  2 28(1868  3 21sat)
パークスが刺客に襲われる[40] KE 4.  2.30(1868  3 23mon)
パークス卿が紫宸殿で天皇に謁見 KE 4.  3. 3(1868  3 26thu)
パークスを木梨精一郎が訪問 KE 4.  3.13(1868  4  5sun)
パークスが江戸城総攻撃を批判 KE 4.  3.13(1868  4  5sun)
パークスを木梨精一郎が訪問(岩倉家蔵書類) KE 4.  3.14(1868  4  6mon)
パークスが信任状を持ち大坂に到着 KE 4.  4.25(1868  5 17sun)
パークスが新政府に女王からの信任状を提出 KE 4.U 4. 1(1868  5 22fri)
パークスがサラミス号で横浜到着 KE 4.U 4. 6(1868 5 27wed)
 

項目は「幕末資料庫(閲覧登録必要)」より随時取り出し、この年表に追加しています。
出典は幕末資料庫に記載されている場合があります。


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