時代は幕末、事件・人物別の年表です [2008.1.26]


右欄の日付記号について
TE 4. 2.22(1833 4 11 thu)は、天保(TE)4年2月22日、西暦 1833年 4月11日木曜日を示します。
年号の記号は..TE:天保 KO:弘化 KA:嘉永 AN:安政 MA:万延 BU:文久 GE:元治 KE:慶応 ME:明治 です。
[39]は満年齢39才を表します。


徳川斉昭 Tokugawa Nariaki
斉昭は文武奨励の諭告を発する(水戸藩政改革) TE 1. 1.16(1830 2 9tue)
斉昭の御簾中となった登美宮が京都出発 TE 2. 3. 1(1831 4 13wed)
斉昭の夫人となる登美宮が京都出立 TE 2. 3.18(1831 4 30sat)
斉昭が有栖川織仁親王の娘登美宮を夫人として迎える[31] TE 2. 4. 6(1831  5 17tue)
斉昭は藤田東湖に大塩平八郎の水戸宛密書の入手を指示 TE 8. 4. 9(1837 5 13sat)
斉昭が幕府に意見書(戊戌封事)を提出する[39] TE10.  6.20(1839  7 30tue)
斉昭が藩内の寺院に梵鐘により大砲を作る旨を達する TE13. 12.26(1843  1 26thu)
斉昭が幕府より詰問される(家老中山備後守経由) TE15. 4.13(1844 5 29wed)
斉昭が致仕、駒込の屋敷での謹慎を命ぜられる(甲辰の変 TE15.  5. 6(1844  6 21fri)
斉昭が隠居を命ぜられる[44] TE15.  5.12(1844  6 27thu)
斉昭の謹慎が解かれる TE15. 11.26(1845  1  4sat)
  
斉昭の三連枝後見が免ぜられる KA 2.  3.13(1849  4  5thu)
斉昭の長子慶篤と有栖川宮の女で線姫の婚儀が行われる KA 5. 12.15(1853  1 24mon)
斉昭を幕政に参加させるかどうかの幕閣会議[53] KA 6.  6.17(1853  7 22fri)
斉昭が幕議参与を命じられる KA 6.  7. 3(1853  8  7sun)
斉昭が登営し海防意見10カ条を示す KA 6.  7. 8(1853  8 12fri)
斉昭が海防愚存を提出 KA 6. 7.10(1853 8 14sun)
斉昭が海防愚存13か条を建議する KA 6.  8. 3(1853  9  5mon)
斉昭の神宮に外患祈穰行わせらるべき建言が叡聞に達する KA 6.  9. 7(1853 10  9sun)
斉昭は大砲74門を幕府に進上する KA 6. 10.18(1853 11 18fri)
斉昭は阿部伊勢守正弘を激励し「海防大号令」を発布 KA 6. 11. 1(1853 12  1thu)
  
斉昭が政務参与となる[55] AN 2.  8.14(1855  9 24mon)
斉昭は目付永井尚志らを品川海上の旭日丸に招き宴を張る AN 3.  9.18(1856 10 16thu)
斉昭が海防・軍制改革等の参与を免ぜられる AN 4. 7.23(1857 9 11fri)
斉昭がハリス要求拒否の上書[57] AN 4. 11.15(1857 12 30wed)
斉昭ら登営し、井伊直弼と調印の不可を討論する AN 5.  6.24(1858  8  3tue)
斉昭が駒込屋敷で急度慎(井伊直弼による処分) AN 5.  7. 5(1858  8 13fri)
斉昭が「水戸にて永蟄居」を申渡される(安政の大獄) AN 6.  8.27(1859  9 23fri)
斉昭が永蟄居を申し渡され水戸へ向かう[59] AN 6.  9. 1(1859  9 26mon)
斉昭が水戸士民に勅諚返納を諭す AN 7. 2.15(1860 3 7wed)
斉昭が胸痛を再発し死去[60]  MA 1.  8.15(1860  9 29sat)

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