時代は幕末、事件・人物別の年表です [2008.8.6]


右欄の日付記号について
TE 4. 2.22(1833 4 11 thu)は、天保(TE)4年2月22日、西暦 1833年 4月11日木曜日を示します。
年号の記号は..TE:天保 KO:弘化 KA:嘉永 AN:安政 MA:万延 BU:文久 GE:元治 KE:慶応 ME:明治 です。


和宮・静寛院宮  Kazunomiya, Seikan-in no Miya
和宮が仁孝天皇の第八皇女として橋本実久邸に生まれる KO 3.U 5.10(1846  7  3fri)
仁孝天皇の第八皇女親子(ちかこ)が和宮と命名 KO 3.U 5.16(1846 7 9thu)
和宮が初参内 KA 2. 5.23(1849 7 12thu)
和宮が11才年長の有栖川宮熾仁親王と婚約の内約[5] KA 4.   7.12(1851  8  8fri)
和宮が明冬、有栖川宮に入輿が内定する[12] AN 6.   4.27(1859  5 29sun)
和宮降嫁が幕府により正式に要請される MA 1.  4. 1(1860   5 21mon)
和宮降嫁が京都所司代より朝廷へ伝えられる[13] MA 1.  4.12(1860   6  1fri)
和宮降嫁の幕府の奏請を九条関白が天皇に奏上する MA 1.  5. 1(1860   6 19tue)
和宮降嫁再考の老中連署の意見書が九条尚忠関白により上奏 MA 1.  6. 4(1860   7 21sat)
和宮と有栖川宮との婚約が解消される MA 1.  8.26(1860 10 10wed)
和宮は観行院(和宮の生母)を使いとして降嫁の承諾を奏上 MA 1.  8.15(1860   9 29sat)
和宮はようやく東下を引き受ける[14] MA 1. 10. 4(1860 11 16fri)
   
和宮はようやく東下を引き受ける MA 1. 10. 5(1860 11 17sat)
和宮の降嫁が最終的に勅許される MA 1. 10.18(1860 11 30fri)
和宮降嫁が公布される MA 1. 11.  1(1860 12 12wed)
和宮の内親王宣下、諱を親子(ちかこ)と賜う BU 1. 4.19(1861 5 28tue)
和宮が石清水八幡宮に参詣[14] BU 1.   4.24(1861  6  2sun)
和宮降嫁の行列が京都桂御所を車に乗り出発[15] BU 1. 10.20(1861 11 22fri)
和宮が江戸の清水邸へ入る BU 1. 11.15(1861 12 16mon)
和宮供奉の勅使が将軍に拝謁 BU 1. 11.21(1861 12 22sun)
和宮は清水屋敷を出発、登城、本丸の大奥に入る BU 1. 12.11(1862  1 10fri)
和宮内親王と家茂との婚礼が江戸城で行なわれる[16] BU 2.  2.11(1862  3 11tue)
和宮は家茂の上洛につき黒本尊に御百度を始める BU 3.  2.24(1863  4 11sat)
   
和宮が薙髪して静寛院宮と称する[20] KE 2. 12. 9(1867  1 14mon)
静寛院宮は慶喜のしたためた嘆願書を内見して訂正を命ずる[21] KE 4.  1.17(1868  2 10mon)
静寛院宮、実成院は江戸城を出て午が淵の清水邸に移る KE 4.  4.  9(1868  5  1fri)
静寛院宮(和宮)が徳川家を去り東海道を京都に向かう[22] ME 2.  1.18(1869  2 28sun)
静寛院宮(和宮)が江戸から京都に到着する ME 2.  2. 3(1869  3 15mon)
   
静寛院宮が箱根塔ノ沢で衝心の発作を起こし死去する[31] ME10.  9. 2(1877  9  2)

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