時代は幕末、事件・人物別の年表です [2007.11.22]


右欄の日付記号について
TE 4. 2.22(1833 4 11 thu)は、天保(TE)4年2月22日、西暦 1833年 4月11日木曜日を示します。
年号の記号は..TE:天保 KO:弘化 KA:嘉永 AN:安政 MA:万延 BU:文久 GE:元治 KE:慶応 ME:明治 です。


桂小五郎Katsura Kogorou木戸孝允 Kido Takayoshi
桂小五郎が藩医和田昌景の子として生まれる TE 4.  6.26(1833  8 11sun)
桂小五郎が桂家の家督を継ぐ[6] TE11.  6.15(1840  7 13mon)
桂小五郎が江戸湾の海岸測量にでかける KA 6.  8. 4(1853  9  6tue)
桂小五郎が学習院用掛となる BU 2. 7.29(1862 8 24sun)
桂小五郎が毛利定広の出府に先だって江戸に到着する[29] BU 2.  8.16(1862  9  9tue)
桂小五郎は将軍が上京し中心が京都に移ったため京都へ向かう BU 3.  2.20(1863  4  7tue)
桂小五郎らは兵庫に赴いて大阪湾防備の計画を練る BU 3.  3.22(1863  5  9sat)
桂小五郎らは軍艦奉行並の勝海舟を訪ね防備の意見を聞く BU 3.  3.29(1863  5 16sat)
桂小五郎、寺島忠三郎、真木和泉ら東山翠紅館に会合 BU 3.  6.16(1863  7 31fri)
桂小五郎、真木和泉ら東山翠紅館に会合し攘夷親征の策を論議 BU 3.  6.16(1863  7 31fri)
桂小五郎が上京を命ぜられる[30] BU 4.  1. 5(1864  2 12fri)
  
桂小五郎が京都留守居を命ぜられる GE 1. 4.18(1864 5 23mon)
桂小五郎が京都留守居役の辞令を受ける GE 1.  5. 2(1864  6  5sun)
桂小五郎が京都長州藩邸で訣別の宴 GE 1. 7.18(1864 8 19fri)
桂小五郎は出石を出発し下関へ向かう[31] GE 2.  4. 5(1865  4 29sat)
桂小五郎は甚助、直蔵兄弟を伴い但馬出石を発ち長州へ向かう KE 1.  4. 8(1865  5  2tue)
桂小五郎は亡命先の但馬出石から馬関に到着 KE 1.  4.26(1865  5 20sat)
桂小五郎と坂本竜馬が下関で薩長連合の件で会談 KE 1.U 5. 6(1865  6 28wed)
桂小五郎が木戸貫治と名を変える KE 1.  9.29(1865 11 17fri)
木戸貫治が薩長同盟の件で長州を出発し京都へ向かう KE 1. 12.28(1866  2 13tue)
木戸貫治ら(薩長連合の交渉のため)一行が大坂に到着する KE 2.  1. 4(1866  2 18sun)
木戸貫治ら(薩長連合の交渉のため)一行が大坂に到着する KE 2.  1. 7(1866  2 21wed)
  
木戸貫治が京都二本松の薩摩藩邸に到着する KE 2.  1. 8(1866  2 22thu)
木戸貫治が海路広島に入る KE 2. 1.25(1866 3 11sun)
木戸貫治は長州藩主の書簡を持ちアーガス号に来る KE 2.  9. 7(1866 10 15mon)
木戸貫治が準一郎と改める KE 2.  9.27(1866 11  4sun)
木戸孝允と薩摩藩士五代才助が馬関で会見する KE 2. 10.15(1866 11 21wed)
木戸準一郎が薩摩への使節を命ぜられる[33] KE 2. 10.30(1866 12 6thu)
木戸孝允は藩主の命により丙寅丸にて鹿児島に到着する KE 2. 11.25(1866 12 31mon)
木戸準一郎、河北一が薩長連合のため鹿児島に到着 KE 2. 11.28(1867  1  3thu)
木戸孝允らが長州藩主の命で薩摩を訪問し終え山口に帰る KE 2. 12. 7(1867  1 12sat)
木戸準一郎(桂小五郎)が五卿に謁見[33] KE 3.  3.18(1867  4 22mon)
  
木戸準一郎が長崎より馬関に帰る KE 3.  9. 4(1867 10  1tue)
木戸孝允が上京する[34] KE 4.  1.21(1868  2 14fri)
木戸準一郎が天皇の江戸行きの準備のため京都を出発する KE 4.  6.19(1868  8  7fri)

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