江戸城の国家公務員専用食堂

五郎丸さんより再度の情報提供がありましたので引用(>)します。
江戸城内の職員食堂(国家公務員専用食堂)は存在したようです、出典は稲垣史生氏の『時代考証事典』です。


 将軍吉宗のご時世である享保二十年(1735)九月に出された通達「殿中持参の弁当並に新役拝命の節、振舞等の儀に付」から類推しております。

>一、日勤の者は御台所で料理を下されるから、みだ
    りに部屋へ食物を持参してはならない。
>二、泊番のため夜食を官給される者も、用意のため
       弁当を持参するのはかまわない。が、それを組
       頭なら格別、他の者へ振舞ってはならない。
>三、新参者が古参者へ、仕事を教わるため音物や馳
       走をしてはならない。

>御台所で食事が出たのです。各自のオフィスに食事
>を持ち込まず、御台所で食事をするようにとの通達で
>す。
>その御台所とは、表御殿と中奥との中間にあり、板の
>間でそうとうの広さがあった。
>御酒部屋・御肴部屋にかこまれて、御膳奉行や御台
>所衆の詰所も近い。その一角に弁当を食べる設備が
>できていたのである。
   国家公務員の勤務するお役所にお酒・肴のための部屋があるのです。忘年会・新年会も自前で出来るかも知れません。考えて見れば、大奥には相当人数がおります。彼女らの毎度の食事準備を誰がしたのか、江戸城内に台所があってもおかしくないでしょう。
大奥の台所は別かもしれませんが。

>当時の殿中生活を歌った『番衆狂歌』という書物がある。
>その中の一首に、「弁当は九つ(正午)ま>でを先という、
>八つ時(二時)までを後というなり」とある。すなわち、詰所
>の侍は正午と二時に分かれて弁当を食べた。
>つまり半数交替で、詰所を手薄にしなかった。
>また、現在と違うのは、昼勤務する人はご飯だけを持参
>し、お菜(かず)は城から支給されていたのです。
>宿直の人はご飯もお菜も支給されておりました。

とありますので2交代で食事をしたのです。食事のために2,3時間を確保する場所があったのです。
 


板の間ですから、お膳が必要でしょう。
あらかじめお膳とお菜(かず)が並べられてあったのか、セルフサービスで自分が取りにいったのかは分かりません。

ついでに細かい話ですが、ご飯を持参しますと冬などは冷えてしまいますし、持参は面倒でしょう。
食堂で暖かい炊き立てのご飯を出す方が皆さん喜ぶはずです。このご飯持参は長く続いたのでしょうか疑問です。

板の間を畳にすると、温泉旅館の大広間を連想します。「おーい、コンパニオンはまだか」、「お客さん、こまります。ここはお役所の中ですヨ」

>宿直者(寝番)に夜食が官給されているのですが、稲
>垣史生氏の『時代考証事典』によりますと、「寝番は
>七つ(午後四時)前なり上りては、御帳に判をすること
>ぞかし」と出勤時間を知ることができます。
 

>ところで今ひとつ、二三でいう持参の馳走を上役へ振る舞
>ってならぬとはどんな意味か。実は、この通達の別文に、
>「殿中の部屋部屋へ食物・酒など持参、上司へ振る舞うし
>きたりがあるのはいけない。殿中でみだりなことがないよう
>にせよ」と戒めている。これでみると、どうも殿中で一杯や
>っていたらしい。
>この通達が出たのは名将軍吉宗のときで、あきらかに享
>保改革の一端である。前時代まで城内がそんな調子だっ
>たのを、こりゃいかんと吉宗が粛正したのである。
>それにしても、今日では当然の訓戒を、改革令で出さねば
>ならぬほど、当時の江戸城はのんびりしたものだったとい
>える。

勤務中はお酒を飲まないこと、という戒めが享保の改革にあったようです。
勤務中に一杯できるとは、うらやましい話です。旗本・御家人が上司に振舞っているのです。一杯やるにはツマミなどもあったほうがよろしく、御酒部屋・御肴部屋があったとのこと、納得します。


>江戸時代は、戦時体制の社会だったので、家臣団は
>常に過剰でした。
>三勤一休(三日に一日休み)とか、ひどいのになる
>と、逆に三勤二休なんてポストもあったようです。

仕事はあまりなかったのでしょうね。本来武士は戦闘集団ですから戦がないと仕事がないはずです。
でも戦がなくなってから相当な年月を経ていますから、戦以外の仕事を作ったと思われますが、製造的な仕事よりはお役所的な仕事でしょうね。

現在の週休2日制度は、5日出勤2日休み、見方を変えると2.5日に1日休みですから、あまり江戸時代と変わりませんが、勤務時間が大きく違うようです。
>さて、以上は旗本のはなしだが、大名の登城時はどうだっ
>たか。大名はたいてい午前十時ごろ登城、二時間ほど詰
>席にいて帰るのだから、原則的には昼食不要だった。
>それぞれ詰席にいる間は、お行儀よく坐っているだけでこ
>れといった用はない。>その間、お茶も出ず、膝もくずせな
>い。これではたまらんので、時々お坊主部屋へエスケープ
>してお茶をのんだ。喰いしん坊の殿様など、持参の重箱を
>あけて飯を食うこともあった。いずれも反則だが、休息する
>ということで大目に見られていた。
>給仕はふだん手なづけてある、お出入りの坊主がしてくれ
>る。
大名クラスは昼食が不要なようで、旗本・御家人と大名が同じ江戸城内の職員食堂で昼食を共にすることはなかったでしょう。