Topic19 藩士の数は領民への年貢(課税)高でほぼ決まり


徳川幕府終焉の頃(明治初年)日本には約280の藩がありました。
藩は現在の都道府県と市町村が入り交じったような構成です。
一応徳川幕府が藩を統率しているのですが、
現代と比較すると地方の自由裁量の部分が相当に大きいようです。
特に軍事力を藩独自に持っておりますので、現代とは様相が違います。

藩は藩主を代表に、藩士によって運営されているのですが、この藩士の人数についてのお話です。

藩士の数は藩の大きさ(石高)に比例すると予想しますので、藩士の数と藩の内高の相関を見てみます。(内高とは領民に課する年貢の量を「石」で表したもの)相関図は2種類あり、内高(横軸)が1万石から100万石超のものと、これの一部で、1万石から3万石程のものです。左の相関図(散布図、横軸最大1,600,000石)を見ると、内高の大きさに比例して藩士の数も増加しているのがわかります。

回帰曲線が藩士一人当たり53石(1石=100升)で内高に比例して藩士が増えています。すなわち平均的には、53石で一人の藩士を抱える計算です。ちなみに加賀百万石では、1,000,000/53=18,868 ですから、相関図からも近い値です。

年貢(税金)が少なくなると藩士(地方公務員相当と思います)の人数も減らさざるを得ないのは、
今も昔も同じでしょうから藩士の数は内高でほぼ決まりです。


相関図(左の上下2図)によると、回帰曲線から飛びはずれている藩があります。薩摩藩、越後長岡藩の二藩は、他の藩より藩士数が、それぞれ回帰曲線の値から3倍、5倍になっています。なぜでしょうか。

参考資料に「藩士一人当たりの知行高(石)」がありますが、全藩の「藩士一人当たりの知行高(石)」の平均値を計算すると、9.55石で、薩摩藩は 2.92石、長岡藩は 8.55石。薩摩藩士の給料は全国平均の3割に押さえられております。しかし長岡藩は、9割です。

年貢率を見てみると、薩摩藩は36.1%、長岡藩は 43.8%、どちらも「四公六民?」です。飛び出た値ではありません。薩摩藩では藩士の給料を1/3に抑えて藩士数を3倍に増やしているように見えますが、長岡藩では藩士が一般の5倍抱えることができる藩運営が見えません。


薩摩藩士が飛び抜けて多い理由は、
慶応3年9月21日付の土佐藩中岡慎太郎の書簡からも分かります。

薩摩兵士というは、皆士分のみにて、足軽は兵士にあらず。兵士は大抵ごく小禄にて御国(土佐)の足軽よりも窮せる者多し、少々給を遣わしむれば喜んでなるなり。これ他藩になき処なり。」「出京兵士は上国の節、仕舞銀少々下され、おのおの白衣服など作り、在京月金一両二分、司令士などは三両なり。

長岡藩は領民に過大な年貢を強要しているわけではないように見えます。どのような仕掛けがあるのでしょうか。長岡藩には「米百俵」(教育最優先)という独特の思想がありますがこれが理由でしょうか。それとも藩士の定義が他と違うのでしょうか。


使用数値は「藩史総覧、監修児玉幸多・北島正元(新人物往来社)」によります。参考資料:藩史総覧、監修児玉幸多、北島正元(新人物往来社)  2010.3.15/2011.9.26


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