No.8 将軍家茂再上洛と幕末艦隊の大運動会
文久3年11月4日、幕府は蒸気船などを所有していた各藩に対して品川沖への集結を命じました。
将軍家茂再度の上洛に供奉させるためでした。
「たった四杯の蒸気船」の黒船来航から9年後、品川沖に幕府・各藩の連合艦隊が現れたのです。

連合艦隊を紹介します
幕府艦隊
翔鶴丸(蒸気)
:司令長官勝麟太郎(海舟)の懇請により実現したといわれる将軍の座乗、坂本龍馬も勝海舟の家来として
同乗していたと言われ、艦長は肥田浜五郎。
朝陽丸(蒸気)
:艦長は咸臨丸で米国へ行ったとき通弁であった伴鉄太郎。
太平洋横断の咸臨丸の姉妹艦、オランダの船で長崎海軍伝習所で使用される。
蟠竜丸(蒸気)
:英国のヴィクトリア王女より贈られた王室用武装快遊船。
第一長崎丸(蒸気)
千秋丸(帆船)
:米国商船、輸送船であった。(原名ダニエル・ウェブスター)
各藩艦隊
黒竜丸(蒸気)
:越前 幕府の所有となり、坂本龍馬の浪人北海道移住計画に使用される予定であった。
安行丸(蒸気) :薩摩
船将大山彦介、後に大洲藩船いろは丸
観光丸(蒸気)
:佐賀 幕府貸与、日本最初の蒸気船
錫懐丸
:加賀
前年(文久2年)12月に購入する。蒸気船発機丸(発起丸)との記述もある。
大鵬丸(蒸気) :筑前
第一八雲丸(蒸気) :松江
前年(文久2年)12月に購入する
広運丸 (帆船) :盛岡
お呼びがかかったのですが諸般の事情や故障で参加できなかった船は....
徳島藩の乾元丸、高知藩の南海丸、佐賀藩の電流丸、広島藩の震天丸、松江藩の二番八雲丸
軍艦での上洛は各方面に波紋を投げかけたようで、江戸城大奥では心配で心配で
居ても立ってもいられないようでした。
大奥で中臈を勤めたことのある「箕浦はな子」という方のお話では、
蒸気船は危険であると心配した天璋院様(将軍家定の夫人)が老中を大奥に呼び寄せたのです。 なんと、老中が大奥に入ったのはこの時が初めてのようです。
結局は天璋院様が将軍の海路上洛を納得されました。
話を連合艦隊に戻します。
文久3年12月28日、艦隊は遠州灘にさしかかりました。
家茂将軍の発案なのでしょうか、それとも誰かがたきつけたのでしょうか、
艦船のスピード競争をやることになりました。
どの位の競争距離か資料がありませんが、遠州灘から紀伊半島へ向かってヨーイ・ドン、
各艦船には神戸海軍操練所で育成された暴れん坊3人づつ配置され指図しておりましたので、
盛り上がったのではないでしょうか。
さて、その結果は、松江藩の一番八雲丸がトップ、2番手は薩摩藩の安行丸だったようです。
将軍から賞品が下賜されたかどうかは残念ながら分かりません。
でも、神戸海軍操練所の猛者たちは、幕府から給料を与えられ、また各藩からも与えられたと
言われておりますので、ご遠慮願いましょう。
この軍艦の大運動会は遊びです。遊びではない艦船のスピード競争がありました。その話しは新綿番船と新酒番船のページで紹介します。
参考資料:旧事諮問録、長崎海軍伝習所の日々等