No.37 死の商人、ご存知 西のグラバーとご存知ない東のスネル
戦争には、当たり前ですが武器の需要があり軍需関連の商売が活発になります。そして武器の斡旋をする「死の商人」が現れます。戊辰戦争頃には、対抗する東北諸藩と西南諸藩に肩入れした死の商人がおりました。

懐旧談(益田孝男)に、「其頃日本に来ていた外国商人は、皆な大したものではなかった。本国に立派な根拠を持った商人はいなかった。オリエンタル・バンク、ホンコン・シャンハイ・バンク、ジャーデン・マジソン、ネイズルランド・トレーディング・カンパニー。この四つの外は皆食い詰め者ばかりのやうであった。諸藩に武器や船などを売込むのが商売で、茶や生糸の商売を大きくやるやうになったのは、余程後のことである。」
ものの本によると、亜米三といわれたアメリカ三番館のR・スミスや蘭八と言われたオランダ八番館のヘッセ・リリアンタル、それに日本語が達者と言われる楠正兵衛ことイギリスの横浜甲九十番の総支配人ウォーターらが武器で大いに儲けた口のようです。
現在、手元にある資料では、主な死の商人として、東北諸藩にはスネル兄弟、西南諸藩にはトマス・B・グラバが目につきます。グラバは長崎のグラバー邸で有名ですが、スネル兄弟は残念ながらあまり知られていないようです。
懐旧談では「其頃日本に来ていた外国商人は、皆な大したものではなかった」とありますが、スネル兄弟、トマス・B・グラバは単なる「死の商人」として片づけられないものがあるようです。
彼らの「死の商人ぶり(軍艦、武器等の取扱量、売り込み方法など)」がどの程度だったのか、興味がありますが、このお話は別途としまして、このページでは、彼らが「単なる死の商人」ではないと言われる面を集めてみました。