No35. 大船建造の解禁..沿海航行商船から外航行用軍艦へ

  嘉永6年(1853)9月15日、幕府は寛永以来220年を経て「大船建造の禁」を解くことにしました。西欧列強に対抗できる程の大きな船を建造することが許可されたのです。この大船建造の解禁の令は、老中阿部伊勢守正弘の達しとして残っております。

荷船之外大船停止之御法令に候処、ただ今之時勢、大船御用之儀に付、自今諸大名は大船製造致候儀、御免被成候間、作事方並びに船数共、委細相伺、差図可請之旨被仰出候。尤も右様御制度御変通被遊候は、畢竟御祖宗之御遺志御継述之思召より被仰出候事に候間、邪宗門御制禁等之儀は、弥以て先規相守、取締向別て厳重可被心得候」。

絵馬に描かれた弁財船(千石船)、国立博物館「ハイテクにっぽん誕生展」から
永い間、大きい船(寛永12年武家諸法度では500石積(排水量100トン余)以上の
軍船は製造禁止)は造ってはならないという軍船の制限(*1)があったのです。したがって、戦国時代から朝鮮戦役にかけ急速に発展した安宅船(あたけぶね)に象徴される強力な軍船技術は、その進歩を止めてしまいました。寛永12年に完成した、1700トン、船体構造は洋式、総矢倉は日本式、銅板で覆い、攻防力とも無敵の不沈艦安宅丸(あたけまる)が幕府水軍の空前の巨艦でした。(参考:220年後にペリー艦隊の旗艦として来航したサスケハナ号は2450トン。そして、かの咸臨丸は250、292、470トンと言われています。「幕末軍艦咸臨丸」)

菱垣・樽両廻船、北前船などの商船は、その大きさに制限はなく、幕末期には1500石、2000石積級の船が幹線航路に就航していたようですから、「大船建造の解禁」は軍船が対象になったと思われます。

*1
:大船禁止は鎖国より前の慶長14年(1609)よりあったようです。(ものと人間の文化史、和船、石井謙治)

大型船建造の解禁を求める「声」と幕府側の考え方を見てみます。

  モリソン号事件の翌年、天保9年(戊戌)8月1日に徳川斉昭が意見書を幕府に提出しております。
内容を見ますと徳川斉昭は軍船の大型化というより商船を「堅固の大船」にするべきと主張しているようです。この時点での徳川斉昭の意見は、「阿蘭人は数万里の海上を乗来り年々期月を違へず長崎へ入津いたし候。然るに日本人は海国に生まれながら十里、二十里の海上さえ日数を定めて乗候事はでき申さずのみならず、少しく日和風並あしく候得ば破船いたし、其時々船中の米穀諸品海中の物と相成候。甚敷に至りては漂流又は溺死もいたし候義あまりに無術、且は可憐事に御座候。」とあるように、外航用艦船技術の差を問題にしております。

幕府は商船については特に制限を設けておりませんので、製造可能であれば大型船を建造しても良い状況なはずです。外航用艦船を製造するには諸外国へ航行することが艦船の設計のため条件となるでしょうが、幕府は日本人の海外渡航を禁止しております。すなわち実用に耐える外航用艦船を設計・製造するための環境はないことになります。

勝海舟編「海軍歴史」の「外観のみ模倣した悪船」という日本製洋式軍艦に対する評価は、環境を与えられなかった造船技術者には酷なものでしょう。 勝は、また「ことに喫水の深浅、重点の位置を察せず。幸いにして順風を得るときは快駛するとも、少しく逆風に向い怒濤に逢うときは、船体簸揚(はよう)し、あたかも鞠のごとく高く水上に挙る。船身上部重くして、下部軽く、風浪ごとに転覆せんとの虞あるを免がれず」と述べているように遠洋航海のための造船技術はまだ育っていなかったのです。

新技術の開発と規制緩和という現代でも考えなければならない問題があるのではないでしょうか。


  徳川斉昭は天保12年8月15日さらに大船建造の要請を行っておりますが、幕閣(水野越前守、土井大炊守、堀田備中守、真田信濃守)は以下のように回答しております。

・・・され海船の義云々御高諭ども謹承仕り候。再三申し談じ仕り候処、此の堅牢の船製作、軍艦を相兼ね申し候義は、全く本邦の制のみにはこれ無く、西洋諸蛮の造作をも参考仕り候御趣意どもと伺い候上は、御法度にも載せられ候通り、鎖国の御趣意厳重に仰せ出され候次第ども、全く邪宗門等の訳合ひのみとも心得申さず、深遠の尊慮より仰せ出され候義と存じ奉り候間。殊に軍艦を弘く造作御免の義は、後弊如何にこれ有る可きか。西国其の外国持大名等種々工夫も致し、異様の製作等ほしいままに出来候は、御法度御取締りにも拘り、御大切の義と存じ奉り候につき、御内聴に入れ候までもこれ無く、相成り難き義と熟評仕り候。

大船建造の要請は徳川斉昭ばかりではなく、佐久間象山の「海防八策」、島津斉彬の大船建造の解禁要請、そしてペリーの来航等があり、幕府は「ただ今之時勢、大船御用之儀に付」と言うことで解禁せざるを得ない状況になったのです。しかし、実用に耐える外航用艦船を設計・製造するための環境、すなわち海外渡航の解禁はまだですから、当分日本は輸入艦船に頼らざるを得ないのです。

黒船ショックは黒船の輸入を促すことになりました。「黒船調達(essays46)」の開始です。


参考資料:江戸時代「生活・文化」総覧、江戸時代の造船(歴史読本増刊)、徳川十五代史 、海軍歴史など
          2005.06.04/2007.12.13

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