2001.02.02


No.30 日本来航直前のペリー提督と西欧の思惑

  日本に大きなショックを与えた黒船が江戸湾に現れたのは嘉永6年6月3日(1853年7月8日)でした。
それ以来、145年を経過した現在でも「黒船」という言葉は消えていません。

西欧諸国から日本へやってくる得体の知れない大きなものは「黒船が来た」と揶揄されます。ついでに言えば「カミカゼ」も残っています。
THE ILLUSTRATED LONDON NEWS[May 7,1853.]   この黒船が日本を目指しノーホークを出港したのが、1852年11月24日(嘉永5年10月13日)ですから、ほぼ半年かかっております。人の噂も七十五日と言われますので、ペリー艦隊を派遣した米国の政府当局者も当面の課題優先で、忘れかけているほどの期間でしょう。


左の写真は平凡社(Link-up)太陽コレクション
「かわら版新聞」(1978.05.25発行)を加工しました。

  海軍代将マシュー・カルブレース・ペリ−が東インド艦隊司令長官兼遣日米国特派大使に任命され日本遠征の命令を受けたのは1852年03月24日(嘉永5年閏2月4日)のことですが、その前年12月にペリーは時の米国海軍卿グラハムに書簡を送っております。
どんな内容か要約しますと
  重要な使命も、兵力もなく、東インド艦隊司令官になるのは不満です。グラハム海軍卿もそう思うでしょう。軍人にとって地位が上がるのは魅力あるもので、地中海艦隊に配属されるのが希望です。でも東インド艦隊の地位が上がってきているので受ける場合もあるでしょう。
と言っているようです。

    ペリー提督は日本への遠征に気が進まなかったようです。地中海は家族の近くですし、60歳に近い年齢なのです。ましてメキシコ艦隊司令官で勝利を飾り、「米国海軍は、この戦争によって名をあげ、初めてその地位を確立したといってよい、(黒船前後の世界、加藤祐三)という功績を残しているのです。さらに気が進まない理由として、当初東インド艦隊司令官に任命されたのはオーリックというペリー提督の部下だった人物なのです、部下の後を受け継ぐ形になるのです。なんでこの歳になって….と考えたのかもしれません。

この時期、嘉永5年6月5日(1852.7.21)長崎出島の新任オランダ商館長としてヤン・ヘンドリック・ドンケル・クルチウス(Jan Hendrik Donker Curtius、東インド高等法院評定官、参事官)が来日しております。彼は米国艦隊が近々日本に開国を求めに来ることを予報し、日本がこの非常事態をもっとも賢明に乗り切るためのオランダ政府の勧告について詳しく献言する用意があると長崎奉行牧志摩守義制、大沢豊後守安宅に伝えております。オランダ側は「日本の非常事態」と言っているようです。
天保3年(1832)の薪水給与令で少し変わった対外政策ではありますが、なお、開国拒否の姿勢が強い幕府方針には問題でした。

でも、オランダ
が言う「日本の非常事態」という認識が幕府にはないような気がします。現代風に言いますと、危機管理のための情報収集と分析システムが稚拙であったのでしょう。
「これ以上整備された大艦隊がアメリカを発つのはかってなかった(THE ILLUSTRATED LONDON NEWS)」という情報をもとにオランダは「非常事態」と形容したように思われます。ペリー艦隊の軍事力が注目されています。

また、オランダにとって、鎖国政策による彼らの日本に対する既得権の変化も気になるはずです。
日本開国による日蘭交易への影響です。

これについては、当時のアメリカ代理公使C・トルソンの書簡があります。
「オランダが日本を開国に導くための賢策として、太平洋沿海地域独得の性格を帯びたこの対策の目的が達成すれば、東洋貿易に関心を抱く諸国が多大な利益を獲得するであろうことは疑う余地がない。そして日本人から厚遇されてきたオランダはその場合にはもっとも大きな分け前をあずかることができ、ほかの国よりもずっと暖かく歓迎されるであろう」。
米国はオランダ有利と見ていますが、オランダ側は「日本の非常事態」と日本側に言っているのです。ちょうど、トンビにアブラゲをさらわれる寸前、惜しいというとっさの気持ちで非常事態と言ったような雰囲気です。国際化における西欧各国の相互の思惑が感じられます。

    グローバリゼーションという日本にとってよく分からない怪物が否応無く日本に押し寄せてきたのです。これを受け入れるにはあまりにも「井の中の蛙」状態が長かった日本ではなかったのではないでしょうか。

また、ある見方として、
1760年代、英国から起こった産業革命が欧州諸国に波及してきたのが1830年代ですが、1830年は日本の天保元年となります。
産業革命は蒸気機関から始まったのですが、この蒸気機関を工学的に利用し、その効果を発揮したものの一つに黒船(蒸気船)がありました。産業革命による生産性の大きな拡大と従来とは格段に違う設備投資規模。この設備投資を有効に生かすには、生産物の拡販及び多量の原料調達が必然的に生まれてきます。
黒船はこれらの一翼を担い、ヨーロッパ勢力の覇権を拡大する強力な道具となったのです。

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