No.25 蕃社の獄「その方、意趣遺恨にても受け候者これありや」(3)

 back.gif (4431 バイト) Essays No.24からの続きです。

   備場新設用地の調査を終えて、鳥居耀蔵が将軍に拝謁し、測量図記、封事を棒呈したのは、3月下旬と思われます。
また、江川太郎左衛門が復命書を提出したのが、そのほぼ一ヶ月後の4月19日になっています。目付鳥居甲斐守耀蔵より遅れて
提出された代官江川太郎左衛門の江戸湾の要地調査報告書はどんなものであったのでしょうか。

江戸湾防備のための備場新設用地の調査ですから調査すべき主な項目は次のようなものであろうと予想します。
1)外国船の見張り場所
2)外国軍艦を迎撃する砲台の設置場所
3)迎撃を指示する指令本部の場所
4)砲弾、火薬等の保管場所
5)兵員屯所、食料補給基地等、臨戦態勢におけるインフラ調査になるでしょう。
また、報告書は、どの場所に、どの程度の用地(砲台の数、配置人数)を確保すべきなど、大名の配置等を含む提案がなされてい
るでしょう。

   砲台の設置を検討するとき、大砲の射程距離、外国軍艦の航路とその速度、そして軍艦の装備等を知らなければ有効な対策は
生まれないはずです。日本人が黒船を目のあたりに見るのは14年後なのです。

多分、テクノクラート江川太郎左衛門は、調査の結果、江戸湾防備のための規模が相当大きいと認識したに違いありません。
具体的な黒船の姿を見ていない時代、江戸湾の防備計画を推進するには危機感を全面的に押し出すことが有効と考えたのでしょう。
また、調査報告には、何のために備場新設用地の調査をし、なぜ大規模なものにならざるを得ないのかを書く必要もあったことでしょう。
すなわち、敵はどんなに大きいものかを外国事情として報告書に添付することが必須条件であると思ったに違いありません。

そして、代官江川太郎左衛門は当時外国事情に詳しい渡辺崋山らに意見を求めることになるのです。
備場新設用地の調査から帰ってから、復命書を提出する約1ヶ月の間に江川は頻繁に渡辺崋山から意見を聴いております。
江川が渡辺崋山から得たと言うより渡辺崋山が積極的に江川に送ったという資料は、渡辺崋山の江戸湾防備私案である「諸国建地草図」、
それに「西洋事情書」、また、江川は渡辺崋山に外国事情書の起稿をも依頼しています。

渡辺崋山が起草した外国事情書原稿は「余りに幕政批判の強い言葉があるので、英竜は書き直しを求め、その第二稿もまた加筆訂正し
なければならないほどであった(鳥居耀蔵、松岡英夫著)」
という内容なのです。
当時やってはならない「御政道批判」がちりばめられた文書だったようです。

   天保10年4月19日、外国事情を説明した文書とともに江川太郎左衛門が復命書を提出します。まず、今回の調査隊の最高責任者目付
鳥居耀蔵の目を通すことになります。優秀な官僚であった鳥居耀蔵が「御政道批判」を見逃す訳がなく、配下の小人目付小笠原貢蔵らに
探索を命ずることになります。すばやい対応で鳥居が実行力のある官僚であることが類推できます。(「仔細検討の上調査いたします」とい
う悠長なやり方ではないのです。)

小笠原貢蔵の手控
「天保十年亥四月十九日、殿中において鳥居耀蔵殿、自分・元六へ左の通り仰せ渡され候。
  一、イギリス国人モリソンのこと。
  一、夢物語と申す、異国を称美し、わが国をそしり書物、著述いたし候者。
  一、薩摩 正庵○、町医者 玄海(佐藤信淵)、三宅土佐守家来 渡辺登(崋山)
  右取調べ申し聞けるべきこと、越前守殿より」。
(ただし、水野越前守忠邦の内命と偽ったと言われている)

さて、小人目付小笠原貢蔵 topic.gif (1036 バイト)の報告書はどのようなものだったのでしょうか。そして、この報告書には遺恨(?)を持つもう一人の
人物、花井虎一がからんでくるのです。 next.gif (4572 バイト)

参考資料:鳥居耀蔵(天保の改革の弾圧者、松岡英夫)等

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