No.23 蕃社の獄「その方、意趣遺恨にても受け候者これありや」(1)

  天保の改革がはじまる2年前(天保10年)、世に言う「蕃社の獄」という事件がありました。

この事件は遺恨が遺恨を呼んだかもしれないという異常なものであったようです。

「蕃社の獄」で逮捕された渡辺崋山が北町奉行大草安房守から訊問を受けた際、「その方、意趣遺恨にても受け候者これありや」と尋ねられた
という話しがあります。北町奉行大草安房守は、この事件が捏造かもしれないと感じていたのかもしれません。
この事件には仕掛人が二人おりまして、まず妖怪(耀甲斐、目付鳥居甲斐守耀蔵)そして納戸口番花井虎一なのです。

「蕃社の獄」は二つの遺恨が大きな要因になっているというお話です。

話しは長くなり、天保9年12月に溯り、まず鳥居耀蔵の遺恨の原因から探ります。

老中水野越前守忠邦が江戸湾防備のための備場新設用地の調査を、韮山代官江川太郎左衛門と目付鳥居甲斐守耀蔵に命じたのが発端と
思われます。この人選はどのように行われたのでしょうか。この人選の仕方が遺恨を生んだような気がしています。

現地調査の前に鳥居と江川の間で確執があったのです、ものの本によりますと、正使が目付鳥居耀蔵、副使が江川太郎左衛門となっております。
通常は正使が決まり、その正使の意見を尊重して副使が決められるのが順当と思いますが、この場合そうではないようです。
また、その逆で実質的な仕事をする者を人選し、その人がやりやすいよう援助するトップを据えるのが一般的だと思います。
あるプロジェクトを実施する際のプロジェクト責任者の人選は重要な課題です。
プロジェクト編成の時からメンバーの間で確執があったのですから、人選がどのように行われたのかは大きな問題です。
言い換えますと、プロジェクトを決めた老中水野越前守忠邦がどの程度、鳥居、江川を知っていたかという人事マネジメントの技量を押しはかる
ことになります。

この備場新設用地の調査は幕閣が正使、副使を一方的に指定したのでしょうか。
副使に時のテクノクラートを起用した幕閣は最新技術(蘭学)を使った用地測量を期待したのでしょう。また、韮山代官江川太郎左衛門もそれを
十分認識しての参加であったと予想します。
**インターネットエクスプローラ3.0以上のブラウザの場合、下に南関東の藩地図が表示されます。(フローティング・フレーム)



この備場新設用地の調査は、鳥居が本丸目付になって最初の大仕事であったのです。この気負いが要因かどうか不明ですが、鳥居は測量担
当の江川に相談せず、当初予定の相州以外に安房、上総、伊豆下田を調査対象に加え、幕府の内諾を得ています。

これを知った江川太郎左衛門は勘定所に対して申し入れているのです。
「御目付鳥居耀蔵書取一覧仕り候処、伊豆・相模・安房・上総辺御備場検分の趣にこれあり。私儀は相州御備場見分仰せ付けられ候儀に付、
同国のみ見分仕り候心得に御座候間、この段重ねて申し上げおき候」
さらに江川は鳥居に無断で伊豆大島の渡海などを申請することになります。あきらかに江川太郎左衛門が開き直っております。


幕閣の指示はこの二人の関係についてどのなものであったのでしょうか、通常御目付は、その語のごとく、お目付けとして監視する立場ですが、
今回は監視の立場ではなく自ら実施しております。
江川太郎左衛門の立場はどのようなものになるのでしょうか。目付と代官の職制上の上下関係からも気になることです。

加えて、この調査隊は最終的に二つの報告(地図)を出しているのです、幕府の指示による一つの調査隊が二つの報告書を別々に提出(3月と
4月)するということは何を意味するのでしょうか。

備場新設用地の調査プロジェクトの目的、報告形式、運営形態などの方針・構想が幕閣より指示があったのでしょうか。
これらは鳥居や江川に対する辞令を見たいところです。

ここに老中水野越前守忠邦と目付鳥居甲斐守耀蔵との力関係、部下の掌握状態、幕府組織の意思伝達構造を予想することができると思いますが、

ここで言えるのは、幕閣からの指示は鳥居と江川の職務分掌を明確にしていなかったということで、このため混乱が起き蕃社の獄を誘発したもので
しょう。
そして、責任者への相談もなく江川が測量隊を編成したのも問題を大きくした理由と思います。ここにテクノクラートの傲慢性が少し見えるような気が
しますし、伏線として一般的に言われている江川洋学派と鳥居儒学派の違いによる対立も深層にあるかもしれません。
天保10年1月9日、鳥居甲斐守耀蔵と江川太郎左衛門は、早朝江戸を出発し備場新設用地の調査に向かいました。next.gif (4572 バイト)

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