No.20 幕府お目付け役のお話
幕府の職制として御目付という職があり、何をするにもお目付がついてまわるのです。
何のために付いてまわるかと言いますと監視のためのようです。
お目付けの支配下には隠密・探索役を兼ねる徒目付をはじめ、小人目付、黒鍬頭等の調査員がおりましたからしっかりした諜報機関だった思われます。
目付を経験した栗本鋤雲の話では、「幕廷にては軍団の仕来りにて殊の外に目付の役を重んじたり。そもそもこの官は禄甚だ多からず、位甚だ高からずといえども、諸司諸職に関係せざる無きを以て、極めて威権あり。老中始め三奉行の重職といえども、鑑察(目付)の同意を得るに非ざれば事を決行する能わず。あるいはその見を殊にする有るを顧みず断行するあれば、鑑察は直に将軍あるいは老中に面して啓陳するを中阻する能わず。されば人の以て仕途の栄とするもの鑑察に過る無し。・・・その人を得ると得ざると、一世の盛衰に関するの職たる知るべし。」
とありまして、なかなか見識が必要な職のようです。さらに旧幕老人の話などを紹介します。
評定所での吟味が不都合であると目付が判断した場合は、その場で指摘するのではなく、直接の上司である若年寄や老中に申しあげるのです。上級公務員に付き添ってその勤務の評定を行うようですから、評定される方は気をつかいますし気味の悪い存在で、早い話しがうっとおしい存在です。 でも、黙っていても済む職でもあったようですからお目付の人柄によるところが大きいのでしょう。
しかし、そのお目付も上記の栗本安芸守(鋤雲、外国奉行)とこれも目付を経験した山口駿河守(泉処、外国奉行)の二人の建白で御一新の数年前に廃止されたようです。
その理由の第一は、
外国人に相当嫌われたためのようで、山口泉処の口述によりますと、
お目付が出てくると外国人が、
「彼は何で来ているのです」と聞きます。
「彼は御目付という者だ」と言いますと、「何に目を付けているのだ」と
聞きます。
日本の役人は「目付は私共が変な応対をしたり、或いは貴下に対して失敬でもあったりすると悪いというので来ている」と申しますと、「それほど疑わしい人であるなら使わぬがよろしい」と言います。
実にもっともなことで、これには日本側余程こまったようです。ぐうの音もでないとはこのことです。
→タウンゼント・ハリスとの外交交渉でお目付は?
ではこの御目付役はどのように選出されるかと言いますと、教育上の資格はなく、どうも投票のようです。投票と言いましても、今の選挙ではありませんで、お目付の間で名を書き出して多い者が選出されるという段取りが一般的だったようです。例外的に上からご指名がある場合もあったようで、この時はお目付連中の中で少々反対がありましても、筆頭のお目付が同輩を説得するようです。
ちょうど今の社会では、社長から言われて部長が課長を説得する図に似ております。
木村芥舟(木村摂津守喜毅)の話によりますと、目付には定員があったようで、享保17年に10人体制となり、安政3年には12人、そして万延元年には15人でした。「旧幕府、旧幕監察の勤向」
お目付の威勢

参考:旧事諮問録、大江戸おもしろ役人役職読本
お目付がどんな職掌かの追加話です。(幕末 五人の外国奉行、土居良三より引用)
昔は御目付といえば、誰知らないもののない幅のきいた職務で、行政上と来たら何事へでも口出しが出来る。・・・・
また警察及び裁判等に携わる権があるからして、自然勢力というものが出て来る。・・・・
ずいぶん羨ましがられたものであった代り、馬鹿では勤まらない。故に目付にでもしょうという人物は、多くの旗本から抜擢されて任じたもの。
監察(目付)の職たるや位階甚だ高からずといえども其権頗る盛にして、すべて閣老へ直ちに接待して事を論じ、又諸向より出たる諸願、諸伺書等の可否を一応必ず監察にて評論し、其議をたてまつる事也。
たとえ閣老の事たりとも聊か忌み憚らず言上し、事に触れては御前をも願い申上ぐる也。
なかなかの職務のようですし、それなりの人物でなければ勤まらないようです。
御目付は監察という、監察される方にとってはうっとおしい存在となっているはずですが、この職務は担当業務に精通することにもなり、その業務に張り付いている直接の責任者ではなく流動的な位置です。また、最高責任者への直言も許されていることを考えると、当今の会社組織でのプロジェクトチームの機能を持っているのではないでしょうか。
上の表「お目付勢揃い」を見ると安政元年からお目付の人数が増加しております。これは老中阿部正弘の時世に海防掛目付を増員した結果と見ても良いと思われます。
ペリー来航からの国際問題に対応するには従来の幕閣組織では対応が難しく、
最高責任者(老中)直属のブレーン組織による対応が始まったのでしょう。
このブレーン組織を現状の枠内で実現するには、従来からあるお目付組織を利用せざるを得なかったのではないでしょうか。
海防掛目付は、従来の目付とは違う意味の存在であり、
目付という組織形態が阿部正弘の海外対応プロジェクト体制を可能にしたのかもしれません。![]()
安政4年2月8日、ハリスとの日米外交交渉でもお目付が派遣されたと思いますが......(参考:日本滞在記(中)、岩波文庫)
ハリスが「奉行だけに内密に伝えたい」と要請すると、「私が大いに驚いたことには、二人の奉行(井上信濃守、岡田備後守)と森山多吉郎(通訳)を除き、他の者が全部、あっという間に部屋から退出してしまった」と記録しております。
「あっという間です」。お目付としては、その職務権限上何らかの歯止めが必要で、同席を要求するか、後程交渉内容の報告を受けるかになりますが、どちらにしても、目付としてハリスに一言あっても良いのではと思います。
何せ、「奉行だけに内密に」という気になる内容ですから、お目付としては職務をサボるわけにはいかないでしょう。
報告書も提出しなければならないはずです。 ともあれ、お目付が同席しないこともあったのです。![]()
Revision:1998.5.8/2003.2.11/2003.08.17/2004.01.03/2006.09.01/2007.04.18