No.10 彰義隊の逃走先は青梅か飯能かそれとも....

......慶応4年(明治元年)5月15日、雨とぬかるみの中で、軍防事務局判事大村益次郎の 作戦により彰義隊の討伐が開始されました。戦闘の詳細はいずれの機会としまして、 朝7時半頃から始まり午後5時前後には終わったようです。
御成道のあたりには雨の中、物見だかい見物人が大勢集まり、その人出を見て握り飯など を売る者も出たと言われておりますから、戦闘当事者は必死でありますが、江戸の庶民を 巻き込んだ大きな戦争ではなかったのでしょう。
春永本能寺合戦之図
さて、彰義隊が壊滅しますと、彼らは他へ逃走することになります。
彰義隊のシンボル的存在であった輪王寺宮は数人の僧を従えて三河島方面 へ逃れ、北越戦争で奥羽越同盟軍の軍事総裁となっております。
その他の人たちはどのように対処したのでしょうか。

西多摩郡人物誌に「彰義隊脱走の長大寄隼人なる者本郡に来り 箱根ヶ崎に宿陣し、大総代柳内才次郎、浜中五郎左衛門良亮等箱根ヶ崎に召喚し軍用金調達を 申付け、且つ御岳山を以て回復の根拠となさんと其の地理を図る」。 と言う記述があります。

これによりますと、彰義隊脱走の者は箱根ヶ崎に 宿陣していたことになりますが、この箱根ヶ崎には渋沢喜作(渋沢成一郎)を中心とする、戦略において意見が 合わず彰義隊と別れた振武軍がおりまして、 翌日の16日に彰義隊に呼応するため江戸へ向かっております。 途中田無で彰義隊壊滅を知り、飯能に退いて後の計画を立てる ことに軍議がまとまったようです。

西多摩郡人物誌にある彰義隊とは上野の山の彰義隊 ではなく、振武軍のことのようです。

当時、「彰義隊は2つあったように思います」。上野の山で戦った一団は勿論、 渋沢を中心とする一団も彰義隊と見られていたのでしょう。 みずから名乗っていたのかは分かりません。

もっとも、振武軍と名付けたのは、飯能の能仁寺に本営を置いた18日ですから、 それまでは名無しの隊か、彰義隊と名乗っていたのかもしれません。
なにせ、当時彰義隊の人気は相当なもののようで、吉原の遊女たちは 「彰義隊を情夫に持たねば恥」というありさまの ようでしたから、彰義隊の名前は魅力だったのでしょう。

それから、「彰義隊が上野の山を後に、川越街道を武州青梅の宿へ入り、 最後の一戦を交え適わぬ時は、甲州裏街道を大菩薩から塩山に入り、甲州の同志と合流して再挙を計るという計画があると の情報が森下の陣屋検地役人曽根五郎左衛門の耳に入った」と言われておりますが、 上野の山から武州青梅に行くのに川越街道を経るのかなと言う疑問があります。現在では、青梅街道、甲州街道または日光街道になると思います。
ここにも、二つの彰義隊を混同している気配が感じられます。

......ところで、どちらの彰義隊か良くわかりませんが、再起を図る場所として 青梅が狙われたことは確かなようです。それをいち早く察知した青梅側は、 西分村の名主浜中忠左衛門を早駕籠で川越街道へ向かわせました。

浜中忠左衛門は、「嶽山は多摩川の南に峠つ高山にて青梅より麓迄三里程なり、料米は総て扇町屋駅より運搬す、 其の不可知るべしと」と説明し、結局、渋沢らは飯能に向かうことになり、 650名ほどが入間川を渡りました。

また、薩摩藩邸屯集隊の副総裁であった落合源一郎直亮が次のような記録を残しております。

「朝五ツ計り(午前八時頃)流賊の先手勢が、五月雨が凌ぎがたいほど降るというのに、四十人余りが各鉄砲を背負い、 隊伍も整わず毛呂を通行した。・・・・一人の者が日野屋清吉方に来ていうには、 {わが部隊の名は嚮導隊といい、我らは東叡山屯集の徒(彰義隊)ではないのであるが、 東叡山戦争以来、官軍が多人数出張し、所々の屯所に発砲し、江戸に住居していることも難しくなったので、ひとまず、 この場を外し、・・・・飯能町屯在中には、 振武軍といって無頼の党もあったけれど、・・・・いま政権は朝廷に帰し、無罪の徳川浪士の身の行く末、 世間の吹聴、宜しきに頼む}、と慇懃に申し述べた」と言うものです。

これらの記録から見えるのは、幕府側はもはや統率力をまったく持っていないことではないでしょうか。
渋沢らの彰義隊?(振武軍)、上野の彰義隊、 そして嚮導隊、それぞれにバラバラで行動しております。 凋落とはこのようなものなのでしょう。凋落は いつから始まったのでしょうか、薩長の台頭からでしょうか、黒船来航からでしょうか、 それとも、鎖国、封建制度の行き着くところなのでしょうか。

獄中の彰義隊天野八郎の記録があります。
「その他唇破れて歯寒きを知らば、旗本八万においても傍観もあるまじなど、 腰抜け武士を少しは頼りにせしこそ、我輩の拙愚きわまる所なれ」

参考資料:西多摩郡人物誌(青梅市史史料集第46号)、多摩周辺 奇談と伝説など.....1997.2.27/2006.10.12

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