小野友五郎と微分

数学の微分・積分は現在でも、なかなか難しいものです。幕末で数学に堪能な人はこれを理解していたのでしょうか。幕末の史料で微分・積分について記述しているものに長崎海軍伝習所の教育内容があります。
長崎海軍伝習所で優秀であった小野友五郎らが、特別に微分・積分の授業を受けたのです。

小野友五郎らがオランダ人より微分・積分の授業を受けて理解したのでしょうか。
積分はともあれ、微分という概念は二次元から三次元へ飛び出したような新しい概念です。

「数学の世界は概して蝋人形の世界のように、動きのない数字と図形で占められていた」(1)
このような状態から「運動と変化」を数学的に記述できるようになったのは微分が出てからでしょう。
すなわち、動いているものを数学的に説明することが微分の本質だと思います。
小野友五郎らが、この本質を理解できたのでしょうか。さらに云えばオランダ教師は微分の本質を教える必要性を感じ、教育したのでしょうか。
小野友五郎らが教育を受けたのは軍艦を操る航海技術ですので、当面、微分の本質を教える必要はないのではと思います。すなわち、微分の考え方で導き出した結果の関係式を教えたのではと類推します。

「幕末・明治初期 数学者群像」で小松醇郎氏は、「私はこれでは微分積分の洋風の本旨の理解度に疑問を持つ」と言っておられます。
幕末随一とも言える人物でも微分の本質を理解していなかったのでしょう。
塵劫記以来、日本の数学は動きのないもの(面積など)を対象にしていましたので、運動や変化を記述するという概念が生まれてこないし、予想もできなかったと思っています。

参考資料:(1)ライフ/人間と科学シリーズ 数の世界、幕末・明治初期 数学者群像(幕末編)