蒸気船注文と価格交渉そして支払い代金のやり繰りは?
=長崎奉行が調達した英国製蒸気船の購入事例=

 文久3年の9月から12月にかけて、長崎奉行が、英国グラスゴーで製造(1862年)されたスクリュー型蒸気船シュンリー号(長さ約56m、463トン *1)を購入したようです。
この時のいきさつを、当時の長崎奉行大久保豊後守忠恕、服部筑前守連名の上申書で見てみます。

 発注と価格交渉

 文久3年9月に長崎奉行から英国商人(グラバーかもしれない)に蒸気船を注文しましたが、この注文は具体的船名を指定していないのです。従って注文ではなく「引合い(取引の前に条件等を問い合わせること)」になります。たまたま上海に英国製の蒸気船(Shun-Leen)がありましたので、回航して当年11月8日に長崎に入港したのです。
このとき、船の代金として13万ドルが提示されました。

ここで気になるのは、蒸気船を上海から長崎まで回航することを売り手が買い手の長崎奉行へ了解を取ったかどうかです。
なにせ回航には人件費やら燃料費やらがかかります。この費用(
4,588ドル)を誰が負担するのでしょうか。後のやりとりを見ると買い手の了解はないと思われます。

買い手としてはなんらかの条件を設けておくべきではないかと、気になります。

さて、回航されて来た蒸気船の品質を評価することになります。
日本側すなわち長崎奉行所での品質評価は難しいので、オランダ公使に依頼し、当時長崎に滞在していた長崎製鉄所のオランダ技師に品質評価及び価格見積をやってもらったのです。その結果、品質には問題なし、価格は
9万8千ドルが妥当との評価が出ました。

この価格で英国商人と購買価格を交渉したところ、英国商人は納得せず破談になる状態でした。

英国商人側の言い分は、長崎奉行の注文で回航したものであり、回航の経費(4,588ドル)を長崎奉行に払って欲しいと要請し、また価格を10万ドルに値下げしました。23%の出精値引きです(長崎製鉄所のオランダ技師見積価格に近い)。

この条件で長崎奉行は折れたのです。そして、長崎奉行は売買品の明細書を取り寄せています。 

「右船さし戻し候ても尚又注文致さず候ては相成らず」。と長崎奉行が言っておりますが、回航は長崎奉行の費用を考えた了解もなしに行ったと思われますので、長崎奉行側としてはもう少しねばり価格低減を謀る手があったかもしれません。このあたりが交渉のかけひきでしょうか。幕府として蒸気船を購入した初期の頃(3、4隻目と思われる。資料*1の購入蒸気船一覧より)ですので外国とのかけひきも勉強中だったと思います。

最終的に長崎奉行側は10万ドルで手を打ったのです。

  支払代金のやり繰り

 価格が決まりましたので、次は代金の支払いです。
長崎奉行は蒸気船購入の予算として、この年の七月に
15万両の交付を申請しており、承認がおりず、さらに九月にも申請しております。幕府の勘定方も渋く、なかなか購入資金の交付がありません。
長崎奉行としては売買契約をしてしまいましたので、支払い代金の工面が緊急の課題となります。30日の支払い繰り延べ交渉を計画し、なんとか幕府勘定方より購入資金を調達したいのですが、思うように行きません。

たまたま、江戸に行っていた船が、長崎製鉄所の石炭代及び古金銀引替え金を積んで長崎に帰ってきたので、この分と長崎の会所で持っている分を合算して英国承認に支払ったのです。
支払いが終わると、長崎奉行は幕府勘定方へ費用の交付を催促することになります。「先般申し上げ候御下げ金早々御沙汰成し下され候様仕りたく存じ奉り候」。

 この時期は、生麦事件すなわち島津久光の一行が英国商人を殺害し、
その報復として薩英戦争が数ヶ月前に起こっており日英関係が最悪ではないかと思われる時期なのですが、
英国にとって幕府と薩摩は別ものかもしれませんし、
政府と商売は違うのかもしれません。


参考資料:勝海舟全集、海軍歴史
 *1
Shun-Leen 日本名長崎丸二番、販売者不明(幕末・維新の日本、近代日本研究会、グラバー商会、杉山伸也)

2004.01.27