お知らせポップ:お役にたつかもしれない情報です。

No.69 ハリスが迫る為替レート改定と吹替入費交渉
そして、インサイダー取引??
2006.07.18


ペリー提督以来、日米為替レートは「ドル銀貨1枚と一分銀1枚のレート」に落ちついていたようです。
このレートが決まった背景などは「Essays51:対ドル為替レートの決定」を参照下さい。

「Essays50:幕末も黄金の国ジパング」を先に読んでいただくとわかりやすいかもしれません。

ハリスの年表へリンク(別窓で開きます)


 タウンゼント・ハリスが下田に着任(安政3年7月21日)して半月後、ハリスは「ドルは一分の3倍の重量があり、4800文に相当するのに、日本人は米国人に対して 1/3である1600文としていた。」と日記に残しております。
ようするにこれはおかしいとハリスが疑問を持ったのです。ここから日米為替レート攻防戦が始まります。

日米間の正式為替レートは、「安政元年五月の下田におけるペリー提督との談判によって、日米貨幣の相場は、一弗(ドル)について銭1600文と定められていた。(ハリス日本滞在記(中)坂田精一訳、1857年3月6日の項)」

 安政3年8月15日にハリスは銀貨500ドルを同じ重さの日本銀貨に交換するよう日本側に依頼しています。そして、これが拒絶されるであろうと言っています。その拒絶理由として、「これまで日本人は一分以上、すなわち銀一両(*1)の四分の一以上をもって1ドルと交換することを拒絶しているから」と言っています。わかりやすく言うと、同じ重さでは交換しないというのが幕府の方針です。これは日本の事情からするとやむをえないでしょう。

ハリスが言っているのは、1ドルと一分銀1枚以上の交換は日本側が認めていないことです。

*1:銀一両、銀貨で1両という単位は日本にありません。1両は金貨の単位で、1両は4分(金)です。


日米為替レート攻防戦では貨幣改鋳の費用も議論になりました。ここでは改鋳の費用について考えます。


 ハリスは「世界では秤量(貨幣の重さ)で交換」している。日米もこれに沿って行うべきであると主張し、国際的には改鋳費用(吹替入費)の要求はないが、日本には特別に貨幣の改鋳費用として5%(平成の現代の消費税と同じ)にしたいと言っております。これに対して日本側は改鋳費用として当初25%を提示しています。この比率は、ドルを余分に支払うための係数(割り増し率)になります。すなわち、100ドルを日本の一分銀と交換する場合、100ドルの1.05倍(5%増し)105ドル必要という計算です。

改鋳とは、外貨メキシコドル(銀貨)を溶かして日本で流通する一分銀などに作り替えることですが、ハリスの5%要求は、当時の国際慣行に照らしても好意的なような気がします、しかし、日本側の25%は高すぎると感じますので、どのような根拠かを探って見ました。


銀の含有量と改鋳を行う人たちの手間賃の話しです

 まずメキシコドルと一分銀の中に銀が、それぞれ、どの位の量が入っているのかが問題です。銀貨の重さを比較しても、もし混ぜモノがあると不公平です。銀だけを取り出した重さを比較する必要があります。

メキシコドルは1個の重さが 26.8gで銀の重さは 24.1g、銀の含有率は 89.9%
一分銀は1個の重さが 8.6gで、銀の重さは 8.5g、銀の含有率は 98.8%........
(一分銀の重量が少ないため、精度に懸念がありますが上記の数値を採用します。)

ハリスの主張するレートではメキシコドル1個と一分銀3個の交換ですから、銀の含有量で較べてみますと、メキシコドル(1個)は銀24.1gで、一分銀(3個分)は銀25.5gです。これは1.4g日本側が余分となります。これを百分率(%)にすると、5.5%日本側が余分となっています。ハリスの改鋳費用として認める 5%は妥当と思われます(金属含有量のみを比較するという条件付きです)。

日本側の25%の理由は、「多分の雑費相掛り申すべきや、中々五分(5%)にて引足りがたく」ということですが、これだけでは納得できません。また、通訳の森山多吉郎はハリスに、「銀貨に刻印を捺すために造幣局に役人の一団が揃って止宿し、役人の一部は極めて多額の俸禄を取っている」と説明しております。この説明でハリスは、日本の造幣局は救恤賜金施設ではないかと推測しています。これも良くわかりません。
これまでの情報では、なぜ幕府側は25%という高い改鋳費用を提示したのか理由が見えません。メキシコドル1個と一分銀1個の交換からメキシコドル1個と一分銀3個の交換で一分銀2個の損失(-200%)を埋めるには非常に少ない比率ですし、このような考え方で改鋳費用を決めるのは論外でしょう。25%の要求根拠は分かりません

ともあれ、最終的には安政4年5月26日(1857.6.17)の下田協約の第3条

「アメリカ人持来るところの貨幣を計算する時は、日本金或は銀一分を、日本分銅(重量測定基準でしょうか)の正しきを以て、金は金、銀は銀と秤(重さを比較)し、アメリカ貨幣の量目を定め、然して後、吹替入費のため六分(6%)だけの余分を日本人に渡すべし」となりました。

すなわち、1枚のメキシコ銀の重さと等しい一分銀3枚と交換する。これは以後、金の国外流出という問題につながります。なお、吹替入費は金属含有量のみを比較した補正の比率であり、国際的な慣行からみて妥当なところに落ち着いたのではないでしょうか。


ところで、下田では1ドルが一分銀3枚の交換になりましたが、遠く離れた長崎でも、直ぐこのレートが適用されたのでしょうか、長崎で従来通り1ドルが一分銀1枚のレートですと、大変なことになります。

下田で106(6%の吹替入費を含む)ドルを一分銀300枚に交換し、この一分銀300枚を長崎でドルに替えると、何と3倍の300ドルになります。このレート差を知っているのはハリスとの通貨交渉関係者のみになります。株式売買の世界ではインサイダー取引になると思いますが、この時取引した人がいたのでしょうか。
当時、日本人が外貨を持つことは禁止されていましたので、日本人は出来なかったと思います。外国人の情報通たちがどうしたかは分かりません。ついでに言うと長崎から幕府へのクレームはなかったのでしょうか。

外国勢は、江戸(下田)の敵(かたき)を長崎で討つ.........ではなく、江戸(下田)の損を長崎で挽回という気持ちかも知れません


参考資料:ハリス日本滞在記(中)岩波文庫、坂田精一訳
2006.06.10/


目次に戻る

幕末期の藩の地図があります。?T?C?g?§????????‰??????B???????????????g?b?v?y?[?W?????B????”N?\??”????????B???j???H?w“I?????????????????????¢?????B 幕末関係のポータル(玄関)ページです。