No.64 旗本たちが借金踏み倒しの天保改革
2005.02.28


老中水野忠邦が仕切った天保の改革を旗本・御家人側から見てみると、実に大胆な金融政策をとっております。
それは、「旗本・御家人たちの借金の踏み倒し」なのです。


天保13年8月、札差元仲間91人が連名して自ら貸金の公定利率 12%を 10%に下げたいと願い出ております。札差が自ら利率を2%下げるのですから、相当ショックなことがあったと予想されます。 このショックは何かを探って見ますと、当時の町奉行の見解がありました。

 
○札差から大借金をしている旗本・御家人に猿屋町貸金会所が特別に貸下げ金をする予定。
  ○個別に年賦などに契約再改した借金は、無利子・永年賦などにして蔵米取の武士が差し支えないように取り計らうこと。
  ○従来の借金は棄損すべきであるが、江戸城の西丸炎上について上納金を行い、今回の利下げ願いもあり棄損としない。


上記の町奉行の見解は次のようになるのではないでしょうか。

借金は棄損すべきである。分割払いで借金している場合は無利子・永年賦とし、大借金の旗本・御家人には幕府が金融する。
上納金に加えて借金の踏み倒しというダブルパンチが札差商人に浴びせられたのですが、商人がこれに反発して一揆を起こした様子はありません。ということは、まだ商人達には余裕があった可能性があります。
(統制経済の中で動いている自由な商売は相当な利潤を得るのかも知れません)
また、幕府が旗本・御家人の救済に乗り出しております。民間からの借入金を公的な借入金に肩代わりさせることになります。 翌年、天保14年5月には、地方知行の旗本・御家人が年貢を担保に前借りしている公的金融機関郡代貸付金を半分棄損、半分無利子・年賦を大幅に軽減する御触が出ております。これは公的借金を半分にすることですから、幕府は旗本・御家人の経済状況を深刻に捉えているようです。

そして、同年12月14日に無利子年賦返済令が出ましたが、その内容は、

  ○札差が旗本らに貸し出し、未払のままになっている債権は新古の差別なく、すべて無利子とする。
  ○元金の返済は原則として20年(働き盛りの40才の人は隠居レベルの60才になってしまいますので長い期間です)。
  ○扶持米を担保にした借金があれば、これも計算して無利子、20年返済。
  ○元金は知行高100俵について年に1両2分ずつ返済のこと。

Essays62の俸給データを使ってこの返済が厳しいのか、緩いのかを見てみますと、

幕府の役職である奥御右筆組頭級のお役人は年俸400石(1,143俵)、この1/3を担保にして借金したと仮定すれば、約381俵(江戸城の張り紙値段でほぼ145両)です。 100俵につき12分ですから、年の返済額は、52分(1=4分)ほどになります。 収入に占める返済額の割合は5.5/145=3.8% となり、返済期間が約26年間になります。

さて、平成の現代の手取り給与と住宅ローン返済額の割合はどうでしょうか。 旗本は優遇されているように見えますが、旗本にとっては「とんでもない」、「なんとかして下さい」と言うでしょう。
元金だけを返せば良いということですから、利子を目的に商売している札差は意味がなくなります。この無利子年賦返済令により札差の半分以上(49軒)が店を閉じたと言われます。残った札差は元金回収しか仕事がありません。


天保改革の「旗本・御家人の借金踏み倒し」は無視できない大きな要素と思われますが、 実行者の水野忠邦は寛政棄損令の議事録(株仲間の解散)を研究したと言われております。 これはすなわち、独占商人の利益を抑える、なくするのが幕府にとって最良の方法であると思われていたための政策です。

天保改革から後になっても、旗本・御家人は借金で動きがとれないのは、相変わらずで、幕府の大きな負担になっているはずです。幕府・旗本・御家人は動きがとれない状況にも関わらず時代は動いているのです。動きの取れない武士に代わって、経済的負担の少ない民間町民・ 豪農等が代わって表舞台に出てきたのでしょう。

なにせ先立つモノがないと何もできませんから。


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