No.61 お江戸に住むお武家さんの給料はお米、という話です


幕府の禄を食(は)む(俸禄を受ける)旗本や御家人の給料は
原則的にはお米なのですが、お米を頂いても貨幣経済ですから、
現金に換えないと普段の生活に困ります。
頂けるお米とそれを換金するときなど色々な制度やら思惑があるようです。


江戸に住む旗本は幕府より与えられる知行(ちぎょう)に2種類ありまして、幕府より土地を給わり、その農民を支配して年貢と取る地方(じかた)知行と、領地はもらえませんが、その替わりに年貢相当分の米を浅草の米蔵から支給される蔵米(くらまい)知行がありました。ここでは領地のない蔵米知行を得ている旗本についてのお話です。

俸禄は年貢が基本ですから旗本は月給制ではなく年俸制になるようです。

米で支給と言いましたが、実際は1/4から1/3が米の支給、残りが現金なのです。
浅草の米蔵から米が支給されるのですが、この量はどれくらいあったのかを調べますと、「旗本約2,900人、年間合計約62万俵支給」という情報がありました。この約62万俵という量を保管・運送という観点から探ってみます。

お米の収穫時期は秋ですので、春と夏に支給される米は前年度に刈り取った米ということになります。春の支給分はともかく、梅雨時期を越した夏の支給分の品質はどのようなものであったのでしょうか。保管方法が気になりますし、新米・古米の区別も気になります。 嘉永6年に徳川斉昭が建議した海防愚存13カ条の10条に「古米新米に不拘、此節より於公辺も可成丈沢山御蔵入に相成・・・」とありますので、古米新米の区別がなされていたと予想されます。→お米の品質の話(このページの下段)

通常、旗本らに支給する場合、年3回(春、夏、冬)に分割して支給されますが、春は1/4支給、夏も1/4支給、そして冬が1/2支給となっていました。冬に31万俵を扱います。31万俵を運送し、保管することになります。俵は重さ60Kgが一般的で、その大きさは直径40cm、長さ75cmになりますので、31万俵がどの位の物流規模になるかを計算しますと、重さ18,600トン、保管面積は93,000平方メートル(俵を重ねない場合)となるのですが、面積に注目すると東京ドーム2つ分に相当します。米俵は重ねて保管しますので、この面積はご参考ですが、重さに注目する必要があるのではと思います。積載量10トンのダンプカーで1,860台分に相当します。冬の支給という限られた時期にこれだけの輸送があったことになります。各地から浅草の米蔵に、どのように運送したのでしょうか。江戸の地図(下図)で浅草御蔵を見ると御蔵は隅田川に面しており舟での運送であったことは類推できます。

仙台から江戸へ米俵を運ぶ場合、舟を使ったようですから、
浅草御蔵は海運の中心地のようです。

ちよっと脇道へそれます。五郎丸延氏の新聞連載「江戸のアイデアマンたち」と江戸時代の先覚者たち(山本七平)に次のような米俵に関しての話があります。
江戸時代の名経営者と言われている山片蟠桃が、米俵について奇抜なというか、セコイと言うか、仙台藩等を救うためのアイデアを考えつき実行したのです。このセコイ手とは、大部分の藩と同様仙台藩も年貢を納めた後の余剰米を買上げて、江戸や大坂へ送り売却して貨幣を得ていますが、仙台藩は米の輸送管理のため、仙台、銚子、江戸の三カ所に改役(あらためやく)の番所を設けており、ここで米の検査を行っておりますが、この検査に注目です。

サシ米(刺米・差米・指米)と言われる検査を行っております。竹筒の先を斜めに切った(竹槍の先っぽのような構造)サシと呼ばれる道具を用います。これを米俵へグサッと挿し、竹筒へこぼれる米(筒落米)の品質を検査するのです。検査の後、竹筒へこぼれた米を俵へもどすのが通例ですが、なんと山片蟠桃はこれを戻さず、番所の検査費用として、1俵につき1合0.25%)、下附してくれるよう申請し、許可を得たのです。では、この筒落米はどの位の量なのでしょうか。当時仙台藩では36万俵を江戸等へ送っておりましたので、全品検査した場合、筒落米は900俵になります。これを金額に換算しますと、6千両(海保青陵の著書『稽古談』・『升小談』)になるとのことです。この6千両は無から生じたように見え、仙台藩と山片蟠桃の店が助かるのです。

話をもどします。積載量10トンのダンプカーで1,860台分の米の運送は舟が主な輸送手段だったようですが、当時の舟の積載量と舟の数はどの位であったのか、これにより幕末の海運業のあらましがわかるでしょう。加えて、夏に支給される米の品質状況も調べてみたいものです(どのようにして日本の梅雨時期を越したのか)。夏に支給される米の市場価格が新米よりどの程度低いのかにより、米の保管技術 レベルを類推することもできるでしょう。

さて、肝心のお米をお金に換える方法については、Essays62「お武家さんがお米を現金に換える方法と札差」にて紹介します。


お米(切米)の品質の話しです

参考資料の「幕末の武家(柴田宵曲編)」によりますと、旗本たちが受け取る浅草御蔵のお米は、

鼠の小便のような臭気のある実にひどい米であった。元来浅草の米廩(御蔵)に貯蔵してある米は、諸国に散在している御料地の産で、米質の良否はもとより、産出の年も一定しておらぬから、御蔵役人は手加減でもって、極上等の分は世にときめく顕職の人にあてがい、御家人の方などへは、下等の古米を配った仕儀なのである。・・・御扶持米もずいぶん悪臭のある下米ではあったが、お切米と比べては大分善いので、これを飯米に用いたのだが、非常の節倹家は引取価が好いというので、御扶持米を売ってお切米のポンポチ米を食べたものである。

また、「旧幕府、戸川安宅編」によりますと、幕府から頂くお米は、旗本らが年3回(2月、5月、10月)頂く切米、そして御家人らが毎月末に札差(蔵宿)から受け取る扶持米の2種類になりますが扶持米の方が品質が良かったようです。「旧幕府」からの引用です。

御扶持米もずいぶん悪臭のある下米ではあったが、お切米と比べては大分善いので、これを飯米に用いたのだが、非常の節倹家は引取価が好いというので、御扶持米を売ってお切米のポンポチ米を食べたものである。」(上記幕末の武家と同じ)

これによると、どうもお米の品質は良いとは言えないようです。ところで「ポンポチ米」とは古米に付くポンポチの虫が付いているお米のようです。節倹家は質より量のようです。が......しかし下級幕臣には辛い時代です。

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参考資料:江戸の札差(北原進)、札差(鳶魚江戸文庫18)、幕末の武家(柴田宵曲編)、江戸のアイデアマンたち(新聞連載、五郎丸延)、江戸時代の先覚者たち(山本七平)、久米町史、舊幕府(戸川安宅編、マツノ書店)/2004.08.16/2009.5.28


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