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No.55
黒船・武器調達、活躍したか幕末調達本部
2002.06.27/2003.01.20/2004.01.27/2005.04.03
日本防衛のための黒船や武器を購入するには
品質と価格、買い方、決済(支払)の条件、購買担当者の技量、資金の調達など
色々な用件が絡んできます。まして海外調達ですから複雑です。
幕末の調達本部はどのように買ったのでしょうか。
鎖国状態が長いため、黒船も武器もはじめて購入するようなものですから、予算確保のための見積も難しかったと予想します。ペリー艦隊が去ってまもなく、佐賀藩の藩主がオランダ商館長クルチウスにコルベット艦の代金支払い方法と教官派遣を問い合わせておりますが、このとき支払いについては心配無用と大見得をきっているようです。きった大見得が心配です。
さて、まず気になる価格ですが、
| 購買品 | 購買価格 (ドル) |
購買価格 (両) |
購入者 |
1両=4ドル換算 |
| 汽船ユニオン号 | 150,000 | 37,700 | 長州藩 | 薩摩名義 |
| 英国製甲子丸 | 120,000 | 30,000 | 佐賀藩 | 元治元年9月12日購入 |
| 鉄製汽船壬戌丸 | 120,000 | 30,000 | 長州藩 | |
| 蒸気船キン・リン号 | 56,000 | 14,000 | 薩摩藩 | 薩摩はサラー号を売却 |
| 米国砲艦カガノカミ号 | 67,500 |
秋田藩 |
中古品 | |
| 大型ピストル(1挺) | 64 | 16 | ||
| 小型ピストル(1挺) | 50 | 12.5 | ||
| コンピール銃(1挺) | 30 | 高額なため紛糾 |
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黒船1隻はたいだい12万ドルから15万ドルのようで、日本の価格にして3万両から4万両ほどと予想します。強引に平成の現代に換算すると、7億円から9億円となります。 (元治元年の米1石が銀140匁、米1石140Kg、現代5Kgが2,000円で換算、1両約24,000円) |
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黒船や武器の価格がだいたい分かりましたが、この中に仲介業者の手数料がどのくらいあったのか、気になります。そこで調査して見ました。 慶応元年5月11日に幕府が注文したフランス製の大砲16門が横浜に到着しましたが、この価格が外国商人を通した価格の10分の1だったようです。フランス公使ロッシュの働きがあったと類推しますが、それにしても商人の手数料は目の玉が飛び出ます。 |
また、文久2年9月に鉄製蒸気船壬戌丸の売買 をしたときは、ジャーディン・マセソン商会の売却希望価格12.5万ドルに商人グラバーが1万ドル(8%)上乗せして13.5万ドルとしています。8%はグラバーの手数料であったとみるのが妥当でしょう。
佐賀藩が英国から蒸気船甲子丸を購入したときには、簿価4万ドルの船を12万ドルで購入し、ジャーディン・マセソン商会は5万8千ドルの純益
(手数料145%)をあげたといわれております。 |
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黒船や武器を購入する際には、その性能・品質や価格を 評価することが必要です。 かの有名なシーボルトさんが、アメリカの船ストロイスは 実用にならないので購入を中止するようにと勧告(文久元 年8月28日)している例がありますので、黒船を評価する 知識・技術が要求されます。 「安物買いの銭失い」と言うことわざもありますので、購 入の際、誰が品物の評価したのかを探ってみますと、他に も多数いたと思いますが、小野友五郎、後藤象二郎とジョ ン万次郎のペアが見つかりました。 |
また、武器については、江川太郎左衛門塾で勉強し、鉄砲 |
さて、日本のマーケットとしての市場性や代金の支払い能力や支払方法については
どのようになっていたのでしょうか。
日本の市場性はどうのようなものであったのでしょうか。![]() 売る方のオランダ側は、安政2年時点で、日本側の軍艦購買規模を次のように見ていました。 幕府はまず、8隻の軍艦を抱える海軍の創設を考えている。その後大名の資金で購入数軍艦を含め、30隻の軍艦を所持する海軍を考えている。(オランダ商館長クルチウスの東インド総督宛の書簡、安政2年10月14日) この見方は正解のようです。→ Essays46 しかし、安政6年の開港した当時の横浜の状況は、あまりかんばしくないのです。 オイレンブルグ使節団に参加した一商人がドイツの商務省に提出した報告書によると、 上海やロンドン宛に振り出される手形がまた全然期待できない状況であり、現金決済(当時は銀での決済)によらざるを得ないという制約がありました。安政六年六月の 外国人居留地取締方など御触によると、「外国人と直取引をするについては、売掛金などのないように申し渡され承知のこと」。と規定されております。 |
現金決済が条件なのです。このため、量的な拡大は難しい状況でしょう。
さらに付け加えると、「外国人と諸品売買のとき釣銭などは一分銀・一朱銀で勘定し、新たに鋳造の金銀は勿論、ほかの通用金銀を外国人に渡すことは一切しないこと」とあり、決済に細かい制限がありました。 当初の目論見に反して、日本の購買力が乏しく市場が振るわないために、多くは膨大な滞貨をかかえて倒産したり、投機的な注文のつけを払うことが苦しくて、横浜から撤退せざるを得ない状況だったようです。 外国商人はなにを本国等に注文して、なにを日本へ売ろうとしたのでしょうか、日本は鎖国以来、自給自足で賄ってきております。 まして、狭い部屋の中はすっきりし、ゴテゴテするのが嫌いな国民性ではないでしょうか? ベッドは不要です。椅子も不要です。かさばるものには手が出ないのです。 横浜から撤退したのは消費財の話と予想します、しかし、工業化・軍備化への購買は促進されていたと思われます。すなわち、大量の生糸とお茶が輸出され、外貨として銀が入っております。一方では横浜から撤退せざるを得ない状況であるが、他方開国後8年間は貿易黒字であったとのことです。 これらから予想されるのは、 得られた外貨で日本は消費財より工業化・軍備化への投資を優先したのでは、と思われます。 |
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購買は現金決済が条件ですが、黒船は額が大きいので、すべて現金で支払うことは困難なはずです。調査しますと、やはり、すべて現金での支払いではない場合が見つかりました。 幕府がグラバーより購入した長崎丸は、特産物と現金の組み合わせて支払っておりました。 また、佐賀藩が甲子丸を購入したときは、代金12万ドルを4万ドルずつ三回に分割して支払っております。 また、薩摩藩が購入した蒸気船キャンスー号は15万5千ドルで、半額が現金支払い、残りは薩摩屋敷を支払い人とする3ケ月手形でした。 現金支払がすべてではないという証拠になる話があります。 元治2年2月9日に英国代理公使ウィンチェスタ、オランダ総領事ファン・ポルスブルックが老中水野和泉守忠精ら幕府当局に抗議しておりますが、この抗議内容は、「艦船、武器購入のために欧州の一市場に生糸の大量輸出を行うという計画があると聞くが事実か」というもので すが、老中らは、「欧州のどの国と艦船武器の購入契約を結ぼうとそれは日本政府の決定すべきことである。それらを購入するためには、かってオランダと行ったように日本国内の余剰の物産を以て支払いにあてねばならないことも当然である」と答えております。 |
また、現金がない場合は借金という奥の手がありますが、、 やはり日本側は借金をしておりました。 薩摩藩が琉球貿易のために、サラー号(安行丸)を売却してキンリン号を購入することを約束したので、グラバーは3万ドル、さらに11月にも1万ドルを薩摩藩に融資した。こうしてジャーディン・マセソン商会のグラバーを通じた薩摩藩への融資は、計7万ドルにのぼる 。 という例もあります。 さらに、どうしても黒船を購入したい場合は、名義貸しもあったのです。 汽船ユニオン号(桜島丸)は長州藩のため薩摩藩の名義で購入しました。 この購買案件は後にめんどうなトラブルを起こし、坂本龍馬の出番となりますが、その話は別途とします。 また、安政3年9月頃、オランダ艦長ファビウスとハリスの会話の中に、日本へ提供すべき汽船2隻がオランダで建造中でしたが、これの支払いは銅、漆器、臘、樟脳、通貨あるいは地金を予定しているようです。「日本滞在記、ハリス」 |
最後に、日本として、考えられる種々な手を尽くしましたので法外な価格で購入してしまった例はないのかを探ってみると、
ありました。この後始末に出かけたのが、後藤象二郎とジョン万次郎なのです。
参考:明治維新とイギリス商人