![]()
![]()
No.54
黒船調達、何がしたくて黒船を買うのか、という話
2005.5.28/2008.1.20
黒船を調達することになった幕府や諸藩は黒船で何をしようとしたのでしょうか。
ペリー艦隊が日本を去って一息ついた安政2年(1855年)から慶応2年(1866年)のほぼ10年間の
購入の背景に注目してみました。
買うということを改めて考えますと、まず買う目的は何かということになります。買った黒船を何に使うのでしょうか。お金があるから、予算があるから買うという状況ではないのです。購買目的は日本防衛のための海軍整備にありました。
具体的には、幕府は当初8隻の軍艦で海軍の創設を狙い、その後大名の資金を加え30隻の軍艦を保有する幕府・諸藩連合海軍を作ることのようです。
まず軍艦による海軍力整備が大きな目的と捉えていますが、一部には、このような軍艦率先購入とは異なる考えもあったようです。坂本龍馬らにジョン万次郎からの情報である米国事情を披露した土佐の知識人河田小龍はつぎのように考えているようです。(河田はジョン万次郎取調べに同席する機会があり、そのまとめである漂巽紀略の編集を行っていますので、米国に詳しいだろうと、あちこちから問い合わせや訪問があったと思われます)。
|
「従来わが国が行ってきた軍備はなんの役にも立たぬ、そこでわれわれは一つの商売を始めようというのだ。 |
この考え方が坂本龍馬の海援隊につながっていると言われておりますが、なんで防衛力整備より商売優先になっているの
でしょうか。 |
国の行く末に責任を持っているのが幕府ですから、幕府が国の防衛を第一義に考えざるを得ない状況です、そして、民間としてできることは海運を始めること、になるでしょう。幕府、民間どちらにしても当時の最先端技術である黒船をいかに自分のものにし有効利用するかという立場におかれたのです。2001年で言えばIT(情報技術)を何に使うのかということと同じ状況でしょう。黒船もITも手段にすぎないのですから、いかに利用するかがポイントです。新しい技術、道具が現れたとき、それをどのように使うのか、どうような効果があるのかを見極めるのは難しいことです。
当時の老中たちが納得する新技術黒船の利用価値を知ったのです。
すなわち、黒船(軍艦)がないと非常に不都合なことが起きると老中たちが納得し、軍艦製造の話が幕府内部で盛んになったきっかけが安政元年七月にありました。
安政元年7月3日、英国軍艦が長崎に来航し、長崎奉行にヨーロッパ情勢(クリミア戦争)を知らせました。この内容が老中たちに刺激を与えたと、当時の技術官僚である江川太郎左衛門が言っております。
英国軍艦が長崎奉行へ知らせた概要(1854年9月7日(安政元寅年七月十五日)付)
ロシアと同盟国(フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍とサルデーニャ)が戦争となるが、ロシアが敗退し自国の港に退く。
ロシアはその領土を拡大し、樺太や蝦夷地にも及び日本を侵略する計画がある。
同盟国の軍艦が日本の港へ入るであろうが、これはロシア軍艦が同盟国の商船を掠奪することを防ぐためで、他意はない。余儀なき事態であり、同盟国軍艦が日本へ来たならば入港を許してもらいたい。
この英国軍艦がもたらした蝦夷地侵略情報は、当時の老中たち(阿部伊勢守、牧野備前守、松平大和守、松平伊賀守、久世大和守、内藤紀伊守)を心配させるとともに、丸腰商船護衛のため軍艦が必要であるとの認識が強まったようです。
参考資料:舊幕府第一巻第二號(マツノ書店) 幕府軍艦開陽丸の終始 澤太郎左衛門
なぜ防衛力・軍事力の整備をしなければならないのかという問答が、万延2年正月にフランス人メルメ・カションと栗本鋤雲との間でありました。
栗本鋤雲の質問:
西洋では通商交易する国同士は和親の国だと言う。それなら一旦同盟和親すれば、戦争を起こすことはないはずだが、それはどうか。
メルメ・カションの回答:
一旦和親したからには、それ相当の戦争の用意がなくてはならない。戦争の用意あってはじめて和親を強固にすることができるのである。日本くらいの大きさの国では、大小の軍艦六百隻を持っていなければ、おそらく真の通商和親はできないであろう。
和親のための必要条件は軍事力であると言っております。軍事力削減を目的として和親条約を結ぶということは有り得ないということになるのです。これはどう考えればよいのでしょうか。 和親条約の目的はなんでしょうか。
そしてメルメ・カションは、「軍艦を外国から購入するのは<未開の愚国の所為>であり、貴国などのなすべきことではない。必ず造船の局を作ってそれを研究し、数年たたぬうちに何隻もの軍艦を製造するのに、なんの困難がありましょうか」。と日本での軍艦製造を奨励しております。