No.53 黒船購入ブーム到来、さてどんな黒船を買いますか


黒船を買わねば !
....買うとなりますと、 どんな種類があるか調べなくてはなりません。

何に使うのか、どの程度の費用が必要なのかが課題となるはずです。
まさか飾っておくためではないでしょうから。
そして、どこから買うかといえば、
当時はオランダに決まりでオランダの独占販売にならざるを得ない状況です。
高い買い物になる可能性が十分です。

お殿様の「買え!」の一言で、実務者はあちこち駆け回ることになります。


ペリー提督が率いてきた黒船4隻は、すべてが蒸気船ではありませんでした。サスケハナ号とミシシッピ号が蒸気船で、プリマス号とサラトガ号が帆船でした。ペリー艦隊が浦賀を離れるとき、風がなく帆船のプリマス号をミシシッピ号が、サラトガ号をサスケハナが曳航したのです。また、黒船の由来である黒色はタールを防腐剤として船体に塗っていたためです。鉄は骨組みに使われていたのが実情のようです。

この黒船の絵は、ペリー艦隊の最初の旗艦サスケハナ号と二回目来日の旗艦ポーハタン号を合体し予想したものです。

黒船の種類は蒸気船と帆船の2種類から選ぶことになり、選択肢はあまりありません。しかし、何隻買うべきなのでしょうか。購入数はむずかしい問題だと思います。黒船購入の目的・用途が見えていないと購入数が決まりません。予算もあるでしょうから。
例えば、日本を守る海軍を作った場合、軍艦数はどのくらい必要なのか、また、海軍は無理としても、重要拠点の防衛とその軍艦数等、防衛範囲と戦闘能力を考えなくてはなりません。そして運用とメンテナンスはどのようなものなのかなど。誰が、あるいはどこの部署がこれを検討するのでしょうか。

都合が良いことに、当時オランダの軍艦スムービング号が長崎に居りまして、艦長ファビウスに意見を求めましたところ、以下のような回答が出てきました。なんで、タイミング良くファビウス艦長がいたのか、については別途にします。


艦長ファビウスは3回にわたり日本へ意見書を認め提出しています。

嘉永7年閏7月2日(1854.08.25)、嘉永7年閏7月10日(1854.09.02)、嘉永7年閏7月144日(1854.09.06)の3回にわたり意見を述べています。(日付は意見書に記録された日付、提出日付の区別が明確でありません)。
これら3回の意見をまとめてみます。
購入する目的と期待する効果・利益、運用技術の習得、それに購買の基本であるQCD、すなわち艦船の性能・品質、価格、納期に分類してみます。


オランダ軍艦スムービング号艦長ファビウスの提言

1.購入する目的と期待される効果・利益

艦船を備えることは軍事防衛と通商、両方に効果がある。ロシア皇帝が退位してまでオランダに造船を学びに行ったことからも明らかである。アメリカ合衆国が独立したのも強い艦船を持っていたからである。日本はオランダや英国のように小さい国であるが、海軍の術を習得すれば、海外に領土を持つことも、貿易で裕福になることも可能である。

当時の日本側の黒船購入は、黒船来航に刺激され、得体のしれない海外への不安が強いと思われ、まず防衛的軍事力の整備という観点を主目的としていたのではないでしょうか。日本は「黒船を受け付けない」という感情がなく「欲しい」という感情が先に来ているようです。

2.性能・品質

日本の地勢を見ると、帆船ではなく必ず蒸気船を採用すべきである。最近のヨーロッパでは新造艦船は蒸気船であり、すでに建造された船も蒸気船に改造している。
蒸気船は水車形と新発明のスクリュー形があり、英国・仏国で両者が競争したところスクリュー形が勝利したこともあり、スクリュー形にすべきである。日本では百馬力のスクリュー式コルフェット船、10から12丁ほどの大砲を備えたものが良いであろう。

造船の場所はジャワに勝るところはない。造船のための蒸気機関具製造所が多数あり、木材も多く、造船作業者も居る。日本では船修復を行う引き上げドックや乾船渠がないため、艦船は鉄製は止め木造が良いであろう。スクリュー推進の艦船が性能的に優れており(Essays36(和船がマジに競争した新酒番船と新綿番船参照)、日本に近い製造工場はジャワが良いと勧めています。当時アジアのハイテク造船工業はジャワのバタビア(現在のインドネシアのジャカルタ)が有名でした。また、蒸気船の性能・装備仕様としては、百馬力のスクリュー式コルフェット船で大砲10-12門がふさわしいとの意見です。

この性能仕様が妥当なのかどうか評価できる技術的な知識は、まだ日本には育ってなかったでしょう。

3.価格(C)・運用費用  

艦船の価格は、大砲などの武器を除き、2,500貫目くらいである。銀貨で考えると、1貫は1,000匁で、法定比価では金1両が銀60匁となっていますから、2,500貫目は約4万2千両となります。 この4万2千両がどのような規模なのかを見てみると、ちなみに石高に換算すると14万石に相当します。この石高に近い大名は、大和郡山の柳沢氏、豊前小倉の小笠原氏、伊予松山の松平氏、播磨姫路の酒井氏、越後高田の榊原氏らです。乱暴な推定ですが、黒船1隻の購入額は大名の収入に匹敵するのです。
金貨・銀貨の換算は幕末の貨幣システムを参照下さい。

ジャワから日本まで届ける費用は、石炭・油類及び乗組員の給料・食料等である。真鍮や鉄製の筒の価格は決められない。これらは相場が動くものである。ただ鉄は安価である。熟練者を雇い、たとえば6年間をめどとして、その給料を渡す。国の親族も賃金前渡しするよう奉行所にて決め、6年間勤めれば何らかの報酬を渡し、御用が終わった後、この報酬で生涯過せるようにできるようにすることが、外国にお願いする場合必要である。

教官の費用(年俸)について以下の史料があります。
一、阿蘭陀船備として、東印度に出役の士官、年々受用いたし候高、左の通りに御座候。

右の外に、阿蘭陀奉行所より日々の食賄いの手当これ有り候。
( ギュルデンは日本通用銀にして6匁2分5厘)

船将の6匁2分5厘X11,000=6,875,000匁 これは両に換算すると、114,583両、当時の千石取りの旗本の年収は300両ほどですから破格の俸給と考えられます。ついでに、新撰組を生んだ浪士組の江戸帰還組の一人当たりの年間給与は36両でした。

また、燃料である石炭の消費量については、ペリー提督の日本遠征記の中に、「ミシシッピー号の日々のカムバーランド炭の消費量は約26トン」とあります。一日26トンは一時間当たり1.1トンの計算です。ボイラーマンはほとんど付きっきりで石炭を供給していたのかもしれません。

4.納期(D)

2隻を製造するのに1年半もあれば良い。また、スクリュー船の場合、製造場所のジャワから日本までは20日である。発注から納入までは1年半のようです。

5.運用技術教育

軍艦の運用、製造方法、造船、大砲の使い方、などは教える人が必要で、これがないと無理であり、身分官位には関係なく、熟練者が要求される、まず士官にこれが必要である。ただし莫大な費用がかかる。
水夫の仕事も重要であり、最初は手伝いから入り習得するのが良い。

伝習するのは、地理学、窮理学、星学、測量学、機関学、按針学、船打建て方学、砲術学 に加えて軍用武備に関する学問で教官はひとつの学に一人となる。 日本政府が艦船を整えるにはまず、オランダ語を知る必要がある。教官は日本語を知らないし、通訳を通しては面倒であり、時間がかかる。 教官が来る前に、長崎に学校を開きオランダ語を学ばせることが必要。

黒船の購入には相当な金額とそれに劣らず大きな付帯費用が必要だったのです。この時期購入先はオランダしか見えない状況であり、独占販売状態ですので言いなりの価格で買わざるを得なかったのかも知れません。少しでも値切る人がいたのでしょうか。


参考資料:江戸幕府・破産への道(三上隆三)、ペルリ提督日本遠征記(一)など...2002.5.7/2008.9.16/2012.5.15

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