No.52 ペリー艦隊海軍主計官の日米為替レート調査
2001.12.02/2005.03.26


従来、「ドル銀貨1枚と一分銀1枚の交換」であったのが米国側からクレームが出てきて
「ドル銀貨1枚と一分銀3枚の交換」に改められました。これはハリスのごり押しが通ったようですが、、、
ハリスの前に来日しているペリー艦隊の為替調査を追ってみます。


米国側が日米為替レートをどう見ていたのかを探しますと、
ペリー艦隊の主計官ウィリアム・スペイデン(Speiden)、J・C・エルドリッジ(Eldridge)が報告しております(嘉永7年5月20日)。
このスペイデンさん達はペリー提督より為替相場に関する交渉を命じられており、直接的には石炭の購買価格を決定するためでした。

ペリー艦隊の主計官の報告は以下のようなものでした。報告書の原文があり英文(拙訳)です。

1.日本では幕府と造幣局の間の交換レートが公定レートになっている。交換は、鉱山から買うのが地金の価値であるように、金塊、銀塊そのものの価値で行っている。

2.日本は支那と同じく、斤(catty)、両(tael)、マース(mace)、キャンダリーン(candareen)、キャッシュ(cash)の十進秤量法である。

上記の単位は支那(中国)の重量単位で、斤(catty)は16両、1両(tael)は10銭、1銭(mace)は10分、1分(candareen)は10厘、1厘はcashです。

ところで日本の貨幣単位は次のようになっておりました。
金貨の場合:両が基本単位で、1両は4分、1分は4朱という4進法です。
銀貨の場合:匁が基本単位で、1000匁が1貫、10分(ふん)が
1匁、 10 厘が1分の10進法です。これは重さの単位と同じです。
銅貨の場合:文が基本単位で、1000文が1貫

銀貨と銅貨は「貫」で同じ呼称のため、銀貨の貫は貫匁(かんもんめ、貫〆(かんめ))、銅貨の貫は貫文(かんもん)として区別した。

日本では、銀貨の単位が十進法をとっておりますが、銀貨の単位として「両」は使っていないし、ましてマースと言う単位もありません。この報告の意味が不可解です。
この両(tael)とマースという単位は、天保9年オランダ商館長が江戸まで旅をしたときの記録、カピタン遣銀にも出てきております。
カピタン遣銀(つかいぎん)では、1貫が100 thailとなっており、この thailはオランダ語のようです。そして 1thail=10 マースです。貨幣の単位、thail (tael)とマースは、従来からオランダと日本との間で使われていたのではないかと類推され、日米初の為替交渉にオランダとの貨幣単位が現れたのでしょう。

3.銀重量の価値と通貨である銀の重量(秤量貨幣)の価値は異なる

日本では二六双essays51参照) と言われる、地金である銀と通貨の銀(通用銀)との換算レート・相場がありましたので、これを指摘していることになります。
この相場では、貨幣としての銀(通用銀)は、幕府当局のお墨付きで2.6倍に薄めた「銀」なのです。

ペリー艦隊主計官の皆さんは、調査に限界があったようです。



ペリー艦隊の海軍主計官は、日本の銀貨は代用貨幣であることを確認しました。

4.銀1tealの重量は、銀塊の場合、225 candareen(2 tael 2 mace 5 candareen)として計算されている。しかし、硬貨の場合、同じ重量であるが価値は 6 tael 4 mace となっている。


*日本遠征記(四)の和訳では硬貨の場合、同じ重量であるが4両(tael)4マース、になっております。どちらかが間違っているようです 。ここでは 6 tael 4 mace を採用します。

地金で 225candareenの価値、貨幣では 640candareenの価値ですから、この比 2.84になります。この比は日本の二六双に近い値です。

すなわち、ペリー艦隊の海軍主計官は日本の純銀と通用銀(貨幣としての銀)の交換レートを知ったのです。

5.政府はドルを受け取るとき銀塊の重量として決めており、鉱山からも同様である。主張するところは、現在の打ち抜き型と分析評価は付加価値を与えないし、これ以上の価値はない。
日本幕府はドルを受け取る際、その貨幣価値ではなく、地金の価値で受け取ることにしているのです。これは貨幣価値での比較ができない状況では、安全な処置だと思われます。

打ち抜き型と分析評価は付加価値がない、と日本政府は言っているようです。打ち抜き型はそうかもしれないと思いますが、分析評価はどうでしょうか。

ものの価値を決めるには分析評価が必須です。
このところを体系的に
しっかりするのが西欧のようです。

6.1taelと比較して 1ドルは7mace,1と 1/5candareenの重量であり、これは銀塊の価値レートで見ると 1tael, 6mace1600cash
)である。

1ドルの重さは 712cashであると言っております。換算は次のようになされていると思います。

重さの単位と貨幣価値の単位が同じため混同しないよう注意が必要です。



日本銀貨1貫(1000匁)の重さは 100thail(tael)と等しいので、1匁は1maceとなります。したがってドル銀貨の重さは7.15匁すなわち 7.15maceとなります。(重量換算で 712cashとほぼ同じ)

また、1ドル銀貨は貨幣価値で日本のお金の16匁(Essays51参照)に相当しますので 1tael,6maceとなります。

この6項は、4項と同じように日本の二六双を追認しているように思えます。

そして、ペリー艦隊海軍主計官の結論として、
7.このように、日本政府は1ドル支払い毎に、ドルを再鋳造する費用のわずかな控除で、全重量について66 2/3パーセントの利益を生み出しているようである。
ドルを再鋳造する と書かれておりますが、1ドル銀貨を鋳潰して銀塊とし、そして日本の銀貨幣に鋳なおすことを意味していると思われますので、この日本の銀貨とは当時の天保一分銀だと思います。
そうしますと、当時の為替レートは1ドル銀貨一枚につき、一分銀一枚です。

銀の重さで比較すると、ドル銀貨1枚と一分銀3枚(正確には2.6-2.8枚ですが3枚にならざるを得ない)になります。

すなわち、銀塊の価値で比較するより一分銀2枚を余計に必要としていることになります。
日本側は本来3枚のところを1枚ですましており、2枚の利益を得ていると、ペリー艦隊海軍主計官が報告しています。すなわち 2/3=66.6%の利益を得ているという計算になります。
 


幕府が1ドル毎に約66%の利潤を得ていると見たペリー艦隊の主計官は、幕府の出目(でめ)を発見した のではと思われます。
出目とは貨幣の通用価値(額面の価)をそのままにして、貨幣の品位・純量を落とすことで、幕府は赤字財政をこの手でカバーしようとしていたのです。

元禄の頃、赤穂浪士の討ち入りの頃の勘定奉行萩原重秀は、「金は原(もと)の貨にて、銀貨是に代りて、只極印のみに力あり。仮令(たとえ)に云はば、紙或いは革を以って造りたる極印の札に等し」と言っております。
すなわち、お上のご威光で金の代わりに銀を通用させていたのです。

日本国内でなんとか工面していた金融政策が、国際貿易を開始せざるを得ない状況になり、
ヨーロッパを中心とする金融基準ともろに衝突し始めたのです。


参考資料:江戸幕府・破産への道(三上隆三)、大君の通貨(佐藤雅美)、ペルリ提督日本遠征記、@nifty歴史フォーラム11番会議室(日本通史)

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浦賀、ペリー艦隊が購入した石炭の価格

  艦隊で使用する石炭の購買価格を決定するために、海軍主計官たちが日米為替レートの調査を行ったのですが、その結論は、「石炭1トンにつき27.91ドル」となりました。以下に資料を引用します。

We carefully investigated the price of the coal to be delivered to vessels in this port. We learn that 10,000 catties, or 100 piculs have arrived, and this at the rate of 1680 catties to a ton of 2240 ponds or 16 4/5 piculs, costs 262 taels, 6 mace, 5 candareen, 3 cash or $164.14 making the rate to be $27.91 per ton.

The Japanese state that the price of coal would be considerably reduced, as the demand for it increased and their facilities for mining became more perfect.
The Personal Journal of Commodore Matthew C.Perry

余等は入念に、当港に於いて始めて船舶に引き渡される石炭の価格を調査したり。余等は、10,000斤即ち100俵(ピクル)の石炭が到着し居ることを知り、又これは1,680斤が2,240ポンドの1噸、即ち16.4−5俵の割合として、262両6マース5キャンダリーン3キャッシュ、即ち164.16弗となること、1噸につき27.91弗の割となることを知れり。日本人は石炭の価値は、その需要が増加するに従ひ又採掘の便がより完全となるに従ひて大いに低下するならんと語る。(ペルリ提督 日本遠征記(四))

石炭の価格は1トン(2240ポンド)27.91ドルでした。
また、
1ドル銀貨と1分銀の交換比率の場合を考えると、石炭1トンは日本の価格で約28分となり、金貨で7両になる勘定です。この浦賀の石炭価格は国際的に高いのでしょうか、それとも安いのでしょうか。上の資料では、どうも高い印象です。

これを裏付ける情報として、約9年後の石炭価格はトン当たり3.25ドルだったようです。
長崎のグラバー商会が石炭の商売を積極的に始めたのが、文久3年(1863)頃で、たまたま幕府に売却された蒸気船ビクトリア号の支払いの一部として石炭が、トン当たり3.25ドルでグラバー商会が仕入れ、トン当たり4ドルで売却しました。
嘉永7年(1854)ペリー艦隊が石炭を購入した当時はトン当たり27.91ドルでしたので、約1/8の価格になっております。(年報近代日本研究、研究論文グラバー商会(杉山伸也))

安政3年9月3日、この日、オランダ海軍メジュサ号艦長ファビウス(Gerhardes Fabius)がハリスに箱館で石炭鉱が発見されたと述べております。採炭事業が箱館で開始されました。この時期の石炭価格について、慶応4年8月5日に英国公使館員サトウが米国箱館領事ガウアーの言葉を日記に記録しております。
ガウアーは箱館の「石炭を中国と日本にトン当たり4ドルで供給するつもり」と言っているのです。
これを見ると幕末頃の石炭価格はトン当たり4ドルが相場のようです。


蒸気船の運航コストの大部分は燃料の石炭ではないかと思われますので、
日本における石炭の価格低下、石炭生産性の向上と日本における蒸気船の普及数は調査が必要です。