No.45 国法「海外対応窓口は長崎」が全く無視される
知らせるべきか知らせないべきか......情報伝達なしで外交交渉
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ペリー艦隊と浦賀で最初に折衝したのは、日本側浦賀奉行当番組与力中島三郎助と通詞の堀達之助、米国側は副官コンティ海軍大尉と通詞のポートマンで、会話は中島三郎助の日本語を、堀達之助がオランダ語へ、オランダ語をポートマンが英語に訳してコンティに伝えました。 副官コンティ海軍大尉が応接するまでに一悶着がありまして、米国艦には米国国書を持つ高官が乗っており、日本側も高官を派遣して応接してもらいたいと米国側が要求してきましたが、日本側は国法で高官が異国船に乗ることはできないと主張し、何とも面会できないようでは国書の授受についての交渉もできないと最初から難しいやり取りになりましたが、米国側が折れて副官コンティが応接することになったようです。 |
当然ながら国書受領の応接場所がまず問題になります。 日本側は国法で長崎を指定、米国側は江戸付近を要求、これはなかなかの難問です。 米国側は国書でも、「余が有力なる艦隊をもって、ペリー提督をして、陛下の著名なる大府江戸を訪問せしめたるは、ひとえに以上の目的のためにほかならず。」となっており引くに引けない状況、日本側も国法ですから、これも引くに引けない状況ですが、しかし、米国側は「此の度国王の書翰持参、浦賀表へ渡来致す可き義は、かねて政府へ通達に及び置き候事故、政府にてはよくよく存じ居り申す可く、よりては長崎へ相廻す可き義はもっての外の事どもなり」と、殺気相含み申し立て候は…(香山栄左衛門の上申書) |
| 米国側は、浦賀来航はすでに幕府に通達しているといきまいておりますし、 さらに「相貌将官は勿論、一座居合せの異人一同、殺気面に相顕れ、心中是非本願の趣意相貫き度き心底、得と相察し候につき、」という状況です。 まして「浦賀来航はすでに幕府に通達している」ことは本当であったようで、昨年に通達があったが秘密にしていたようです。 交渉最前線に立つ担当者としては非常につらい状況でしょう。 まして、「其の節(戦闘)に至り候とも、用向きこれ有り候はば、白旗を建て参りくれ候へば、鉄砲は打懸け申すまじき段、存じ切り申し聞け候。」と解説付で白旗を渡されたようですので、最初から勝負はあったようです。 |
米国はその軍事力を盾に国書受領を迫ったのは確かでしょうが、浦賀来航の通知を秘密にしておいたことが一番の原因だと思います。 浦賀来航の通知に対して回答しなかったのでしょうか。 国法により浦賀拒否を回答していれば長崎回航を主張し交渉することも筋が通っているでしょう。 長い間同じ組織で硬直してしまうと、情報を公開せず、物事をあいまいにしている体質となり後でしっぺ返しがくるようです。 嘉永6年6月7日老中、若年寄らが江戸城で協議、浦賀奉行井戸石見守弘道をして国書受領に決定。 国書の内容をどう扱うという問題ではなく、国書の授受でエネルギーを使っております。 |
参考資料:日本の近代1開国・維新、ペルリ提督日本遠征記、香山栄左衛門の上申書
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