※慶応4年(明治元年、戊辰)正月7日(1868.1.31金)

 

◎夜、総裁有栖川熾仁親王は諸侯を小御所に招き、徳川慶喜征討の大号令を諸道に布告する。

追討令。資料@

徳川慶喜天下の形勢不得己を察し、大政返上将軍職辞退相願候に付、朝議の上断然被聞食候処、唯大政返上と申而己に而、於朝廷土地人民御保不被遊候而者、御聖業難被為立候に付、尾越二藩を以て、其の実効御訊問被為遊候節、於慶喜者奉畏入候得共、麾下並会桑の者共承伏不仕、

万一暴挙可仕哉も計りがたく候に付、ひたすら鎮撫に尽力仕居候旨、尾越より及言上候間、朝廷に者慶喜真に恭順を尽くし候様被思召、既往の罪不被為問、寛大の御処置可被仰付候処、

あにはからんや、大坂城へ引き取り候者もとより之詐謀に而、去る三日麾下の者を引率し、剰前に御暇被遣候会桑等を先鋒とし、闕下を奉犯候勢、現在彼より兵端を開き候上者、慶喜反状明白、始終奉欺朝廷候段、大逆無道、もはや於朝廷御宥恕の道も絶果、不被為得己追討被仰付候。

兵端すでに相開候上者、速やかに賊徒御平治、万民塗炭の苦を被為救度叡慮に候間、今般仁和寺宮征討将軍に被任候に付而者、是迄偸安怠惰に打過、或者両端を抱き候者は勿論、たとえ賊徒に従い譜代臣下の者たりとも、悔悟憤発国家のため尽忠の志有之候輩者、寛大の思召に而御採用可被為在候。

依戦功この行末徳川家の儀に付嘆願の儀も候得者、その筋により御許容可有之候。しかるにこの御時節に至り、不弁大義賊徒と謀を通じ、あるいは潜居為致候者は、朝敵同様厳刑に可被処候間、心得違無之様可致候事。

 

嘉彰親王は東寺を進発し、諸藩の兵を従えて淀城に入り、大坂城攻略の軍議を開く。

 

御所に「外国事務総裁」が設けられ嘉彰親王が任命される。

 

幕府軍解散命令が出る。幕軍総督の大河内正質が幕軍の解散と諸藩兵の帰国を命令。1万余の幕兵をどのようにして江戸へ送るかが大きな問題であり、一同評議し、幕兵たちを一旦紀州へ送り、そこから船で勢州または三州まで輸送することになり、紀州家との交渉を奥右筆御政事内務係渋沢成一郎(喜作、29才)が命ぜられる。

 

大坂城の老中格大河内正質、若年寄永井尚志、若年寄並平山敬忠らが東帰の途に就く。

 

京都智恩院の徳川慶勝のもとに尾張から一人の使者がきて、「藩内の佐幕はの一味が渡辺新左衛門らを中心に徳川慶勝の子である義宣(よしのり)を擁して関東へ走り、徳川慶喜ら幕府軍に加わろうとしている、直ちに帰還を請う」と告げる。また、「鳥羽伏見で幕軍が勝ち、その幕軍に加わるために関東に走る」と徳川慶勝に伝えている。

 

戦火で家を焼かれた者は大坂町の本願寺別院で救助米が出されるとのお触れが出る。

 

夜、長岡藩主牧野忠訓、河井継之助らが大坂を去る。大和路より伊勢路に入り、松坂に出で、さらに海路で三河国吉田(豊橋)に上陸する行程。

河井継之助らは大坂玉津橋の警護に当たっており、城から何等かの指図があるものと備えていたが音沙汰がない。馬で偵察に行ったところ、将軍以下がすでに帰東の艦上にあるとの話を聞く。

 

大坂玉津橋を警備していた長岡藩が主従とも大坂を脱し江戸に向かう。

 

高野山本陣からの征討出兵により五条代官中村官兵衛は自ら本陣に出頭し正覚院に謹慎する。

 

建仁寺が朝廷に千両を献金。

 

幕府の歩兵奉行佐久間近江守の旗下にあった高松藩は夜、大坂を出発し、高松へ向かう。

 

高野山出張の軍(鷲尾隆聚)から、和歌山方面への勅書伝達の命を受けた斎原治一郎(大江卓)、藤村四郎が、朝、名草軍の若出に到着。紀州兵が約20名守っている関門で足止めをくう。

郡代の山林四郎左衛門のもとに案内され、和歌山から軍事奉行野口将監、木村久一郎、伊達五郎が来会、交渉の結果藤村四郎は紀州の鈴村三右衛門を案内して高野山へ戻り、斎原は中納言徳川茂承へ勅書を直々に渡すため残留することになる。

 

在京の徳川慶勝は、朝廷より動向不定の尾張近隣諸藩に対して勤皇誘引工作するよう命ぜられる。

 

大坂の旧幕軍に、江戸や自藩に帰ってよいとの命令が、老中格大河内正質より出される。

 

目付妻木多宮は、夕刻、福井藩士岡本晋太郎に対して徳川慶喜の奏聞書(朝廷に対して異心がないことを弁疏)並びに直書を松平慶永に届けるよう要請する。大坂市民を戦の難から救うため、直ちに城を受け取るべしと依頼する。

 

夜、堺の紀州街道の町の西入口に近い錦之町より出火し、折からの西南からの強風にあおられて、山之口筋3分の2、隣接縁之町山之口筋の全てを焼く。北屋敷の与力屋敷も類焼する。町民の失火による大火となる。

 

朝、別子銅山の支配役広瀬宰平のところへ大坂の今沢卯兵衛から、鳥羽伏見の戦いを知らせる急飛脚が届く。住友友親は山本新田の別宅に避難した等の情報があった。

 

3カ月の京都警衛を命ぜられていた佐賀藩主鍋島直大が、佐賀を出発する。

 

元新撰組の者は、伊東甲子太郎と行動をともにした者で近藤勇らと別れた。

水口藩関係が多いのは、同藩中執政の中村栗園が背後にいて、油川、箕田、速水などを援助したためであった。

 

同心宇田熊太郎が桑名の国許に敗戦の第一報をもたらす。

 

大坂の京屋に収容されていた新撰組の負傷者が大坂城へ移動する。

 

新撰組の「金銭出入帳」入の部、五百両 大坂城受取、四千二百両 組方より受取。

 

徳川方の兵站を命ぜられて赴任してきた勘定奉行並小野内膳正(小野友五郎)が淀から大坂城に入る。

松平太郎・史談会記事

兵粮は淀川を船で送りましたが、陸の方が早く敗れましたゆえ、船の着きました時分には、兵粮は皆敵に取られてしまい、味方は玄米を食う始末でした。

「小野友五郎の生涯」

 

会津藩大砲隊戊辰戦記

七日(略)(大坂)城内に入るに大手口に至るに幕軍を始め各藩の将士雑沓散乱して城外に出づるに逢ふ。何の故たるを知らず。本丸に入るに及て始て大将公(将軍)と共に我が公桑名公も昨夜軍艦にて江戸に引上ありしを知り、一同相顧みて一語を発するものなく失望落胆せざる者なし。忽ちにして城中我が砲兵隊を除くの外人影なきに至る。

 

サトウの日記

一月三十一日(陰暦一月七日)午前四時、ロコック(公使館書記官)に起こされた。ロッシュから、朝早く敵が町に入ってくるので、持てるだけの物をもって、未明に立ち退く必要があるという通報があったというのである。みな飛び起き、ひどい寒さであったが、荷造りをした。まだ舟は来ない。夜が明けるころ、わたしを護衛する別手組がやってきて、やっと一隻大きな舟が入ったと知らせてくれた。これに公文書類を積み込み、午前九時頃出発した。

石川河内守(利政、旧幕府外国奉行)が姿をみせた。自分は何も手伝いができないといった。また、まだ大名の部隊は到着していないが、それでもすぐ立ち退いたほうが賢明だといった。サー・ハリー(パークス)とわたしは石川を連れて、人足を探しに出かけ、大手門の前でそれを見つけた。そこで、奇妙な行列が門内に入ってゆくのに出逢った。「御輿」のような「乗物」、しれにさしかけられた大きな傘、長い竿の先に提灯をつけて先頭をゆく二人の男の行列であった。石川は、御門の使者だと思うと、小声でいった。

 

米国公使ファルケンバーグの報告(シュアード国務長官への報告 1868.2.3

一月三十一日(陰暦一月七日)の午前二時頃、二人の外国奉行が非常に興奮した様子で公使館に来て、大君の部隊の左翼が撃退され、薩摩の部隊が大坂をめざして進撃中であるとつたえた。その後この二人は人足に変装し、われわれの一行とともに約七マイルはなれた砲台(天保山)までゆき、そこから大君側の汽船のひとつに乗って、他の役人とともに江戸へ逃げた。

つづいて午前四時頃、イタリア、オランダ、プロシアの代表が公使館に来た。約一マイル半はなれたところにあるフランス公使館に参集するためである。以前から危険が迫った場合は、そうする約束ができていた。

午前六時、われわれ、すなわち、フランス、オランダ、イタリア、プロシアの代表とわたしは、徒歩で出発し、大坂の町を抜けて、まず外国人居留地へゆき、そこから河口の砲台(天保山)へ向かった。乗船するためである。イギリス公使は外国人居留地に着いてから、一夜をそこであかした。他方、われわれは砲台(天保山)のちかくで夜をすごし、翌日二月一日(陰暦一月八日)の夕刻、乗船した。イタリア、プロシア、オランダの代表とわたしは、それぞれの随員と同国人を連れて、アメリカ軍艦イロクコイ号に、フランス公使はフランス軍艦ラプラス号に乗り込んだ。

 

フランス軍事顧問団の団長シャノワーヌ陸軍大尉(ロッシュの政治的判断にかなり批判的であった)、メスロ(Messelot)陸軍中尉、下士官二名の計四名が大坂到着。「遠い崖、大政奉還」

 

前日、幕府より安全を保障できないと告げられた諸国外交官がこの日から大坂を撤退する。「幕末・京大坂歴史の旅、松浦玲(朝日新聞社)」

 

加賀藩主が藩臣一同に申し渡した趣旨「旧幕府第2巻、戸川安宅編(マツノ書店)」

今般

朝廷大御変革被仰出候義も其実は全く薩州家奸臣の所為より出候にて暴威を以

朝命を恣にし其の証跡顕然たるを以既に頃日徳川内府様 御上洛討薩の思召にて於此方様も皇国の御為速に御人数被差出猶此上御出陳も被遊候得は

内府様え御協力被遊候思召に候此段何れへも可申聞旨御意に候

正月七日

右は加州公藩臣一同に申渡し候趣

 

備中松山藩主板倉勝静の護衛隊長熊田恰(あたか)が護衛役の百五十余人の弟子をつれて船十四艘を雇い、大坂を出帆する。(玉島の備中松山の飛び地についたのは十七日)「炎の陽明学―山田方谷伝―矢吹邦彦、明徳出版社」

 

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